基礎データを整理する。2 )作品ごとに造形表現を分析。図様の有無や表現方法を比較検証して、祖本系統や「型」の種類を明らかにする。3 )絵画に込められた情報の解読。名所図屏風を取り巻くコンテクストを考察する。(制作の背景で、絵師や鑑賞者はどのような名所イメージを持っていたのか。どのような意図でその名所を一双形式に取り上げたのか。)従来、一括りにされてきた地方名所図を、土地ごとに図像を収集して解釈する。名所ごとに、「型」のありよう(構図・図様)を明確にするため、従来にない詳細な分析表を作成する。例えば、描かれた寺社については建築様式のみでなく、建物の向く方角、境内にいる人の数、土地の形状等も分析の対象とする。また、実景とは距離があるとされる名所図であるが、細かなモティーフに実景に対する絵師の眼差しが垣間見えることも多い。そこで、文献資料や視覚資料から想定される当時の風景、および現在の風景を参照し、その絵画化に対する絵師の視線の解読を試みる。収集したデータと分析表は、今後の名所絵研究の基礎資料として公表したいと考える。研 究 者:横浜美術大学 専任助手 大久保 範 子浮世絵の黄金期と称される天明・寛政期(1781−1801)は町人文化も隆盛を迎え、歌舞伎や遊郭と並び勧進相撲が江戸の三大娯楽として人気を博したが、役者絵や美人画に比べ、相撲絵はこれまでほとんど研究対象とされてこなかった。この時代の役者絵に似顔表現が取り入れられたことは浮世絵史上における大きな転機であったが、商業上、相貌の特徴をとらえつつもあくまで「美男」で描かれることが期待された役者絵に対し、相撲絵はその必要がなく、現実的な描写が可能であった点に特徴がある。時代ごとに典型的な様式化による人物描写がなされてきた日本美術の中で、相撲絵は像主の特徴を相貌・体躯の両面で客観的に表現することにより、当時の相貌・体躯表現は新たな展開を示したのである。とくに錦絵が隆盛を極めた天明・寛政期に相撲絵制作を寡占した勝川派の功績は大きく、春章らによって創出された構図・様式の多くは歌川派へも流派を超えて引き継がれた。㉞ 葛飾北斎の相撲絵に関する研究
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