鹿島美術研究 年報第30号
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多彩な作品を手がけたことで知られる葛飾北斎もまた、すぐれた相撲絵を描いているが、一方で北斎の作品は、この「勝川派から歌川派へ」という明瞭な流れからは離れた独自の展開を示していることが注目される。北斎の相撲絵は、天明期以降主導的立場にあった勝川派と、文政期頃を境とし、その地位を引き継いだ歌川派双方の様式に学んだものや、反対にそれらの様式とはまったく関係なく、土俵上の戦いの際の動きそのものに対する強い興味をうかがわせる動勢に富んだスケッチなど、独自の自由な視点による作例に特徴があり、様式踏襲の傾向が顕著な相撲絵の中ではその位置づけが難しい。当時の相撲絵は、手がけた絵師の多くが役者絵を中心的に描いており、また江戸勧進相撲における人気力士のブロマイドのようなものであったため、力士の顔は似顔によってあらわされ、なおかつその表情がはっきりと識別できるような構図が採用されていた。北斎にも、勝川派の門にいた春朗時代に、そのような相貌のわかりやすい構図による錦絵が数点残されているものの、『北斎漫画』の時期になると、その流れとは一線を画し、力士の表情ではなく相撲そのものの動勢を重視した描写を試みるようになる。これは、特定の力士を描くという相撲絵の商業上の前提からは外れるものであったが、北斎は特定の流派に属さなかったため、このような柔軟なアプローチが可能だったのではないかと考えられる。本研究では、北斎の相撲を題材とする作品を精査し、同時代の他の相撲絵作品や北斎自身の他の人物画に見られる表現と比較することで、北斎が相撲という画題に対しどのような姿勢で取り組み、自身の作品に反映させていったのかについて考察を試みたい。以上の研究は、北斎の画業の中で本格的な考証のない相撲絵を取り上げることで、同分野の研究に新たな視点を提示しうるのではないかと考える。また、北斎特有の人体の動きの表現について注目することで、当時の日本絵画において、人物の体躯表現がどのように高められていったのかについても、その一端を明らかに出来るのではないかと考える。

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