鹿島美術研究 年報第30号
87/124

を掲げたが、大正期に合理性、簡素性を肯定的な要素として得ていたことは、モダニズム受容の基盤となり接点を作ったと指摘できる。このことは日本デザイン史構築上の新たな視点ともなるだろう。研 究 者:江戸東京博物館 専門調査員  朴   美 姫本研究は、日本で制作された屏風絵の朝鮮への贈答をとおして、両国間における美術をとおして見た文化的な差異や共通性を探る試みである。日本の美術史学では屏風絵は、家具調度としてではなく、むしろ大画面の絵画作品として評価され、近代以降の美術史学において、様式、筆者、モティーフ、用途、輸出などの側面から探究され、赤沢英二、武田恒夫、榊原悟らによる先行研究の蓄積があった。しかしながら、とくに朝鮮国王に贈呈された贈朝屏風について、従来の研究のように、発信元の日本からの研究だけでは不十分であり、贈られた側、すなわち受信先の朝鮮からの研究もおこなうことで、贈朝屏風をめぐる研究は十分な理解を得ることができる。このような発想から、研究者は、韓国からの留学生の立場を活かし、日本と韓国側の作品・文献を丁寧に検討し、これまで、韓国・古宮博物館に残された「田雁秋景図屏風」、「牡丹流水図屏風」の二点の現存屏風と、文献上からのみ知られる己酉約条締結の際に贈られた「金屏風五對」中の「楊貴妃図屏風」の三点の屏風について考察してきた。その結果、宮廷に残された屏風には、英祖の賛文が書かれ、また牡丹という儀礼において不可欠な主題であるなどの特別の理由が付加されており、それゆえに残されてきた可能性が浮かび上がってきた。一方、「楊貴妃図屏風」については失われた可能性が高いが、その主題が発信側の日本では好まれたものであっても、受信側の朝鮮では拒否されるような意味をもっていたため、さまざまな議論が沸騰していたことなどが判明した。そのような指摘は今まで、日本の美術史学ではなされなかったことである。以上のように、発信側と受信側の両方を視野におさめることで、贈朝屏風のもつ問題を多角的に掘り起こすことができる。研究者はそのような問題意識に立って、少しずつ研究を開始したところであり、さらに掘り下げた考察を行うことにより、具体的㊱ 近世における日韓絵画交流の研究

元のページ  ../index.html#87

このブックを見る