在が確認されていることも問題の混迷を深めている。こうしたなかで、貴重な作例を持つ各美術館が個々の作品の詳細な調査研究を進めつつ、知識と情報の共有をはかっていくことが重要であることは間違いない。研究者の調査研究課題は、国立西洋美術館の単なる所蔵品研究に留まるものではなく、ドラクロワ研究の動向に重要な研究成果をもたらし、今後のさらなる研究展開に学術的貢献をおこなうことを目指している。本研究を通じて、ドラクロワの「平和の間」の天井画制作のプロセス、そしてドラクロワの工房教育の詳細をめぐって貴重な情報がもたらされるはずである。また、この問題は、19世紀末から20世紀初頭にかけて、ドラクロワの素描を市場に流通させていた画商たちの存在を抜きには語れない。とくに西美所蔵素描3点のうち、《ヘラクレスとケンタウロス》と《ヘラクレスとネメアの獅子》は、1920年前後にヨーロッパで築かれた松方幸次郎のコレクションから伝来する作品である。今回の調査研究は、これら2作品の来歴調査も視野に入れたものであり、いまだ多くの研究余地を残す松方コレクションについても新知見を加えることが期待できる。研 究 者:東京藝術大学 美術学部 助教 髙 木 真喜子中世末期、1400年頃を中心に開花した、華麗な宮廷風の美術様式は国際ゴシック様式と呼ばれている。ある一都市が主導的な役割を果たすのではなく、パリ、ディジョン、アヴィニョン、プラハ、シエナといった各都市の相互の流動的な影響関係のもと、汎ヨーロッパ的に展開したことから国際様式と称されるのである。ヴァロワ朝治下のフランスにおいては、シャルル5世およびブルゴーニュ公フィリップ、アンジュー公ルイ、ベリー公ジャンといった王弟たちの熱心なパトロネージのもと、この時代を代表する数々の作品が創り出されることになった。そして、相互的な影響関係であったとはいえ、彼ら“白百合の紋章の王子たち”の庇護のもと、パリは当時の芸術活動の華であったと言えよう。しかし15世紀半ばにさしかかると、フランスとりわけパリは芸術的なセンターとは言えない状況になる。ネーデルラントにおいてファン・アイク兄弟が、フィレンツェにおいてマザッチョらが登場し、ヨーロッパの南北において本格的に初期ルネサンス㊳ 中世末期のアンジュー宮廷の写本芸術
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