の時代が到来する一方、社会情勢が混乱する中、パリの芸術活動は停滞期に入る。そしてパリに集まっていた芸術家たちは故郷に帰国したりロワール河流域に逃れたりしたため、15世紀フランス美術の展開の場はトゥールやアンジェなどの宮廷に移ることになった。本調査において研究対象とするアンジュー公の宮廷はそうして15世紀中葉から後半にかけてのフランス美術の小センターとなったひとつであり、『愛に奪われし心の書』の作者としても知られるルネ王のパトロネージと、バルテルミー・デックの活躍が有名である。しかし本調査においては、デック世代より以前、すなわちルイ1世、ルイ2世、およびルネ王の治世の前半に相当する、14世紀末から15世紀中葉にかけてのアンジュー宮廷の芸術を主な考察対象とする。そうした背景の中、バルテルミー・デックがエクス=アン=プロヴァンスに在住して制作活動を行っていた時期があることは明らかであるのに対し、それ以前のアンジュー宮廷の芸術家や芸術作品については、ナポリやプロヴァンスとの関係は指摘されていない。しかし、確かに直接的な影響関係を示すような作例はないかもしれないが、シチリアの伝統のあるナポリや教皇庁が置かれ文化的に繁栄していたアヴィニョンの芸術に、熱心なパトロンとして知られる歴代の王たちが無関心であったであろうか。個々の作品単位ではなく、アンジュー宮廷周辺で制作された作品群を、同一の芸術環境を持つサークルの中に捉え、その図像や様式の特質や傾向を考察することにより、そこにアンジュー宮廷独自の背景やイメージ・ソースを見出すことが本研究の目的である。13世紀後半にカペー朝のフランス国王ルイ9世の弟シャルル・ダンジューがナポリ・アンジュー朝の祖となって以来、アンジュー家はナポリ支配に強い執着を持っていた。14世紀末にシャルル5世の弟ルイ1世に始まるヴァロワ・アンジュー家になってからも、ナポリ王位およびナポリ王領であるプロヴァンスを巡る争いは継続されており、教会大分裂の時期には、アヴィニョンの対抗教皇クレメンス7世の支持を受けていた。
元のページ ../index.html#90