文以外の同時代の画家のあり方や作品を明らかにしていくという研究が主となってきている。一方、研究者の研究は、コンピューターの全文検索を利用しながら、五山文学・史料を読み解き、周文の弟子・岳翁の研究から周文像に迫るという手法によって、周文という室町水墨画の中心に再び焦点を合わせ、その画風展開を基準にすることによって周文派の作品群の位置づけを行い、五山での画僧たちによる作画システムも含め、改めて室町水墨画史全体の体系化を試みることを構想しているのである。研 究 者:東京藝術大学 美術学部付属古美術研究施設 助教 金 子 明 代狩野派二代元信は、始祖正信が創始した狩野派の進むべき方向を基礎づけた人物である。先行研究によって、大工房で多くの弟子を育成しながら時の要請に応じる鋭敏な経営感覚と、そのために拡大する作画領域を「元信様式」たる一つの作画方式の中に整理・統合した大胆な造形感覚とを合わせ持つ人物であることが指摘されている(注1)。元信が活躍した16世紀後半は、中世が中世らしきものを緩やかに脱ぎ捨て、近世に近づいて行く、美術史上の転換点にあたり、元信の画業はまさに、中世支配的であった筆様制作の呪縛から脱し、自らの様式を築いて行く過程といえる。中でも、元信晩年の霊雲院方丈室中「四季花鳥図」は、近世を引きよせ、孫永徳筆聚光院方丈室中「四季花鳥図」に近世を切り開かせるための土台を与えた、元信の画業の到達点を示すものである。この霊雲院「四季花鳥図」は、壮年期の大仙院客殿檀那の間「四季花鳥図」を発展させたものと考えられる。しかしながら、両者に横たわる30年ほどの懸隔を埋める中間的な大画面花鳥図は現存せず、また、その画体が異なるために、両者の進展を自律的な発展という側面からのみ論じることは不可能である。本調査研究では、画題が異なるために個別的に論じられ、また、元信の大画面花鳥図の功績の陰に隠れがちな山水図に着目し、元信の大画面画造成についてより俯瞰的な考察を加えることを目的とする。それによって、大画面花鳥図だけでは見えにくいその造形的特質を相互補完的に補強することを試みるものである。元信様山水図における考察の中心には、その左隻を孫永徳が担当したと考えられ㊵ 元信様山水図の研究
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