㊸ 「もの派」の歴史的布置に関する考察 ─1968年前後の資料を中心として─研 究 者:武蔵野美術大学 芸術文化学科研究室 助手 森 啓 輔断的に関わる文学的側面からのアプローチを開く契機となりうる。これによって絵画史を学際的な視点から捉えなおし、絵画という表象文化が、より多元的にかつ有機的な広がりをもちながら、人文社会の中で果たす機能を考える一助となることが期待される。本研究は、研究対象としてその意義が国内外で認知されている「もの派」の動向について、国内での研究に加えて、アメリカでの展覧会および企画に関連する資料に関する調査を行い、アメリカでの受容過程を分析し、海外の動向との比較対象としてもの派を捉えることを目的とする。海外での調査については、「もの派」の資料を集約的に収集・保管しているアメリカ合衆国カリフォルニア州にあるゲッティ・センターのリサーチ・インスティテュートの資料を対象とし、2011年に行われたNYグッゲンハイム美術館での李禹煥個展や、ロサンゼルスでの「Requiem for the Sun: The Art of Mono-ha」、同時期に南カルフォルニア大学で開催されたパネル・ディスカッション、また2012年に開催予定のニューヨーク近代美術館での「Tokyo 1955−1970: A New Avant-Garde」での研究成果といった海外での最新の知見を参考とする。特に、「もの派」の起源として通説となっている、1968年に須磨離宮公園で発表された関根伸夫の《位相─大地》や、1969年に東京画廊で制作された《空相−油土》については、関根との影響関係のものに語られる高松次郎が、1968年に発表した《Perspective Dimension》とともに、素材である物質の特性のみならず、鑑賞者や作品1968年から1970年前半にかけて、日本国内でその動向が広く認識されていた「もの派」は、厳密にはその名称の起源が不明とされる一方で、近代的な表象作用の否定と、未加工な自然物や工業用材の使用という特徴を備えていた。もの派については活動の当初より、美術作家や批評家らの言説によって理論化がなされつつ、1990年代以降の国内での展覧会を通じて、より多様な問題が提示されてきた。そしてそのような研究は、近年では日本国内に留まらず、海外でも「もの派」に関連する展覧会が企画される傾向が顕著となり、海外の美術動向との歴史的な接続や関連から検証がなされるとともに、改めてもの派の歴史的意義について注目が集まっている。
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