いて、その来歴が明らかになった。一方、サルヴィアーティのフィレンツェの分家については、コスタマーニャはほとんど調査していない。しかし、この家系のコレクションは、やはり婚姻関係による遺産相続によって、ボルゲーゼ家が引き受け、その一部は世界でも名高いボルゲーゼ美術館に所蔵されている。そこに所蔵される作品の来歴が明らかになるとすれば、それは大きな意義があると言えるだろう。価値:我が国が所持する西洋美術作品の来歴が明らかになるという価値がある。今日西洋美術館が所有するグイド・レーニの《ルクレツィア》は、1784年までは、フィレンツェのサルヴィアーティが所有していた。推測の域を出ないが、この作品はアヴェラルド・サルヴィアーティのコレクションのひとつであったと研究者は考えている。なぜなら彼は売りたての前年の1783年に死去しているからである。興味深いことに、同館の紀要(2002)には、この作品がジローラモ・ボンコンパーニが所有していた可能性が指摘されているが、まさにアヴェラルドの妻アンナ・マリアは、このボンコンパーニ家の末裔であった。構想等:研究者は現在執筆中の博士論文において、17世紀フィレンツェで活躍した画家ヤコポ・ヴィニャーリの作品研究をしている。伝記にもとづけば、この画家は公爵ヤコポ・サルヴィアーティのために《聖アントニウスの死》を制作している。当時フィレンツェでは、個人が所有する美術品を出品して宗教団体の祈祷所に飾るという今日の展覧会の先駆けといえる習慣があったが、おそらく1640年代に開催された展覧会にこの作品が出品された可能性があった。そのため、ピサの高等師範学校に所蔵されるサルヴィアーティ文書を調査した。その結果問題の作品は1652年に制作されたことが明らかになったが、そこにはヴィニャーリの作品の他にもさまざまな美術作品に対する支払い記録があることが分かり、ヴィニャーリ研究にめどが立てば、そちらの研究をする必要性を感じていた。研 究 者:実践女子大学 文学部 助教 実践女子学園香雪記念資料館 学芸員 太 田 佳 鈴今回の研究では、池田孤邨という作家に注目し、彼の伝記や画業を明らかにするとともに、幕末から明治期の江戸琳派の展開について考察を試みるものである。そして、㊻ 池田孤邨研究 ─幕末から明治における江戸琳派の展開の一例として─
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