鹿島美術研究 年報第31号
100/132

るようになるのも事実であり、初代天台座主・義真により彩色がなされたことを含め(『叡岳要記』)、優填王思慕像のイメージが投影されるとの指摘がなされているように、根本中堂像の宗教的意味もまた変容していったことがうかがわれる。こうした信仰の変遷は薬師如来のありかたそのものの変遷をある程度反映していることが推測されるが、根本中堂像を薬師信仰のなかに位置づけることで、その実相を明らかにしたい。薬師信仰を考えるにあたり、奈良時代末から平安時代前期(8〜9世紀)にかけてはその基盤を形成した注目すべき時代であり、その後の展開を理解するうえでも、根本中堂像を綜合的に同時代の薬師造像において位置づける研究は大きな意味を持つだろう。研 究 者:駒澤大学 非常勤講師  北 野 良 枝本研究の目的は、近世以降の絵画史研究の際に頻繁に利用される『後素集』の特質を解明することにある。『後素集』は、狩野派の絵師が編纂した書物であることから、実作例の内容を反映した画題辞典と認識されているが、筆者がかつて一例を示したように(北野良枝「「王会図」の変容」、『國華』1356号、2008年)、『後素集』の画題解説のなかには、現在残されている作品の図様と齟齬し、その画題解説の背景に複雑な様相を示すものがある。『後素集』の編纂過程を探ることによって、その特質を明らかにすることができるならば、使用の際の注意点を示すことができるのみならず、近世初期という画題の再編期における画題生成の状況をも明らかにする可能性を含んでいると考えられる。研 究 者:国立歴史民俗博物館 機関研究員  櫻 庭 美 咲フランスでは、1789年のフランス革命以降王侯貴族のコレクションの所有が大規模㊸ 『後素集』と舶載された絵入り版本との関係に関する研究㊹ 17〜18世紀フランス所在輸出磁器コレクションの研究─『列仙全伝』『仙仏奇踪』を中心に─

元のページ  ../index.html#100

このブックを見る