に移転し、国外に流出した美術品が多く、17世紀から18世紀にかけてフランスに存在したことを示す来歴が明らかな肥前磁器の所蔵品が極めて稀少であるため、江戸期にフランスに輸出された肥前磁器の研究は立ち遅れている。現在、革命以前の旧蔵者がわかるコレクションとしては、ルーヴル美術館やシャンティー城が所蔵するコンデ侯の旧蔵品が知られているほかは未詳であり、フランスにおいて当該分野を集大成した研究もないため情報収集が極めて困難である。しかし、前述のとおりオランダ東インド会社の記録から、17世紀後半にフランスに質の高い日本磁器が輸出されたことが明らかであるだけでなく、18世紀前半のパリでは柿右衛門様式磁器が古陶磁として高い需要があったことがル・メアーというパリの商人の記録から判明している。また、18世紀にパリで製作されたロココの金属飾りを伴う肥前磁器がドイツやフランスのコレクションに顕著に多いことも検討を要する。西洋において日本の磁器は、中国磁器とは区別されて別格の評価を受け、さまざまな文化的創造の源となった。日本の磁器流行の反響は、フランスの磁器開発にも直接的な影響をおよぼし、シャンティーやサン・クルーをはじめとする柿右衛門様式磁器の模倣を目的とした磁器製作所がパリとその近郊に複数設立されるなど、新しい産業創出のモデルとしても活用された。こうした西洋磁器による写し物製作の現状から、フランスにおける柿右衛門様式磁器の流行は、西洋の中でも特に顕著であったと推測される。これほど具体的に日本の磁器がフランス工芸に影響をおよぼしたことは、美術史のみならず文化史や東西交渉史といった近接分野においてもきわめて重要といえるだろう。従来の肥前磁器研究においては、磁器資料の研究に着手する研究者と、貿易史の文献史料研究に着手する研究者が、個別に研究を行い情報交換が希薄であったが、筆者は、磁器資料の調査研究と貿易並びに来歴に関する文献史料研究の双方の知識と経験を有する。そこで、本研究では二種の異なる視点を兼ねた総合的な視野から検討し、取り組む事も価値ある試みである。本研究の最終的な構想は、本調査で所在確認されたフランスに19世紀以前に所在したという来歴の明らかな肥前磁器について、その意味内容をフランスの宮廷文化との関連のなかで考察し、フランス宮廷社会における肥前の輸出磁器の受容史を明らかにすることである。そのため、19世紀以前のコレクションの所蔵者をできる限り把握し、城郭における磁器の陳列方法を把握するとともに、すでに調査済みである西洋諸国のコレクションと比較することによって、フランス所在の輸出磁器コレクションの意匠
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