鹿島美術研究 年報第31号
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にとどまっているが、保存状態が悪いこともあり、満場一致の帰属の解決は見られなかった。しかし最近ようやく、オラトリオを含むサン・コロンバノ聖堂全体が修復され、楽器美術館として一般公開された。帰属の問題に関しても新たな提案がなされるだろう。しかしながら、筆者は別の観点からこのオラトリオを研究対象とする。これまで顧みられなかった、サン・コロンバノ聖堂のオラトリオの主題の選択、場面配置について明らかにすることが目的である。祭壇画そのものの主題《聖母の前に現れる復活したキリスト》も、キリストの受難伝における《ペテロの悲嘆》も珍しい主題である。これらの稀有な主題の選択と、南壁の終末論的主題、すなわち通常の復活の主題が選択されていないことは、マドンナ・デッロラツィオーネの信心会の思想を反映すると思われる。つまり、主題の性質は1500年代末のボローニャの神秘主義的な風潮と関連付けることができ、おそらく信心会の創設者パレンティの影響に起因する。神秘主義の影響はバルトロメオ・チェージやルドヴィコ・カラッチに見られると言われており(Fortunati Pietrantonio, 1986; Benati, 1980)、グイド・レーニにもそれを認める研究者もいる(Fanti, 1988; Spear, 1989)が、この研究をもって1590年代末から1600年代初めのボローニャにおける宗教環境の聖堂装飾への影響の一端を具体的に示すことができるのである。構想筆者はグイド・レーニとロザリオの聖母の図像で博士論文を執筆したが、サン・コロンバノ聖堂のオラトリオは、ボローニャ派と信心会におけるイメージ、というこれまでの研究を踏まえて発展させることができるものである。国立古文書館に所蔵されている信心会の規則を精査し、その信仰を審らかにするつもりであるが、ロザリオ信心会と同様、挿絵の影響があればなおよいと考える。オラトリオの装飾にはおそらくパレンティの見た幻視や思想が顕著に現れているので、1500年代の神秘主義を扱った文献を渉猟して、彼に関するものを見つけ具体的に関連付けたい。また、サン・コロンバノ聖堂のオラトリオ、サン・ドメニコ聖堂のロザリオ礼拝堂、サン・ミケーレ・イン・ボスコ聖堂の回廊は、アンニーバレとアゴスティーノがボローニャを去った後、ルドヴィコ・カラッチの指導の下でのカラッチ・アカデミーの画家たちによる共同作業であるが、新しい世紀の幕開けを示すものでもあり、1600年代の模範となるものである。これからの研究の意義ある展開にもつながると考えた。

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