鹿島美術研究 年報第31号
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国の『円宗文類』及び『三国遺事』等の義湘伝との相違点を精査し、本絵巻の義湘イメージを明確化していく。さらに注目されるのは、義湘絵に備わる長大な判釈文である。この判釈文は絵巻があらわす華厳の教理を説くもので、文面は明恵作成と考えられている。思想史側からの考察も行われているが、美術史の視点で見た絵部分との関連性については、いまだ考察の余地がある。義湘の行いが、華厳の教理の中でどう解釈されるのかを捉える上でも、重要な手掛かりとなる。本研究にて、高山寺における祖師像制作の有りようを明らかにすることにより、ひいては、ある教団において祖師をいかにイメージ化し、結果、制作された祖師像がいかに機能したかという、祖師像をめぐる普遍的な営みの問題に、一つの視座が与えられることが期待される。また、託磨派の画家たちが積極的に大陸からの新様式に学んだことが知られる高山寺の絵画工房にあって、その絵画制作の一端が解き明かされることは、この時代の絵画史研究においても意義深い。さらには、思想史や日本史、日本文学など、諸分野でなされている明恵研究に対しても、寄与するところは少なくないと思われる。研 究 者:三重県立美術館 学芸員  原   舞 子これまで、1940年代の日本における美術造形活動は、1945年をひとつの区切りとし、戦前/戦後が分断されて語られてきた。1945年8月の日本の敗戦というあまりに大きな出来事が壁のように立ちはだかり、本来ひと続きである時間の流れを「ふたつの時代」に隔て、一本の線としてとらえることを困難にしている。この問題に対するひとつの応答として近年、戦前と戦後をつなぐ作家―松本竣介、朝井閑右衛門、麻生三郎、鳥海青児、山口蓬春らを中心に据え、1930年代後半から1960年にいたるまでの時期に焦点をあてた展覧会が開催され、この間の美術家たちの創造の営みが紹介された。し1940年代は、かつてないほどまでに日本という国家の枠組みが大きく変動した時代である。「帝国日本」から「敗戦国日本」という極端な振れ幅の中で、1940年代の日本美術がいかなる展開をみせてきたのかを総合的に検証することが本研究の目的である。㊾ 1940年代日本美術の総合的研究

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