ったと考えられる同会について考察することは、戦後の美術史学史を構築する際の立脚点となる。また1950年代の美術史学で展開していた史学化志向は、現在と将来の美術史学の自律性と学際性を考えるうえでも参考となる、重要な過去の事例と思われる。たとえば美術史学会は、2013年度からの科研費の制度改編に備え、2010年以来、日本学術振興会に対し、細目「美学・美術史」から「美術史」を独立させ、所属する分科を「哲学」から「史学」へ移行することを要望している。少なくとも学術行政上の形式面だけでも、“史学化”はなお生きた問題であるといえる。構想研究は次の①の考察を中心に、②、③の分析を組み合わせることで行うことを構想している。①文化史懇談会の活動内容本研究の中心となる項目である。同会の会誌『文化史懇談会』全34号と、同会から刊行された田中一松編『日本の美術』(1952年)、「日本美術史叢書」(1956年〜)の分析などを通じて明らかにする。②史学化志向の全体像史学化志向が1940年代から50年代にかけて、東京美術研究所『美術史学』や、家永三郎の美術史研究、矢代幸雄や田中一松、“「美術史学の対象」論争”などを通じて展開されていたことについては、すでに調査・考察を終え、成果の一部は論文として公刊している。本研究では新たに、1948年に同志社大学に設置された文学部文化学科文化史学専攻と、その周辺で行われた美術史研究について、同志社社史資料センターなどでの調査を行いたい。これを今までの成果に加えることで、当時の美術史学と歴史学(文化史学)との関係性を明らかにしつつ、史学化志向の全体像を完成させる。③人文科学全体のなかでの美術史学と歴史学当時の美術史学と歴史学の状況を、当時の日本の人文科学全体を俯瞰した視野を通じて把握する。そのために恰好の参考資料となるのが、ワシントン大学スザロー図書館公文書館所蔵のマーティン文書である。同文書には、1948年に来日し、当時の日本の人文科学の研究体制について調査を行った米国人文科学顧問団に関する文書が含まれる。これを調査すれば、当時の日本の人文科学での美術史学と歴史学の研究活動状況も判明すると見込まれる。
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