鹿島美術研究 年報第31号
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 2.ロベール・カンパンの「聖三位一体(父なる神のピエタ/恩寵の御座)」    ―初期ネーデルラント絵画におけるその位置づけ― 発表者:東京藝術大学大学院 美術研究科 博士後期課程 鈴 木 伸 子中から発達し山水画的空間性を備えるに至ったものと考えられる。第二に、「尼公巻」における信貴山の全景が現れる場面が注目される。ここでは、東大寺から信貴山に向かう途中、尼公は濃霧に包まれて一切の山水表現が消え去る。長い空白の後、豁然と全景を表す信貴山の表現は、(伝)王詵筆「煙江畳嶂図巻」における主山たる仙山の登場の仕方と同一であり、遙か海中に浮かぶ仙山のイメージの系譜に連なっていると考えられる。このように、「信貴山縁起絵巻」の画面には、ユートピア的な神仙境の記号が諸処にちりばめられている。それは説話の構造が志向するものをくみとった上での表現であったと考えられる。ロベール・カンパン(1375/79〜1444年)は、現在のベルギー南西部の都市トゥルネーに工房を構え「フレマールの画家」と同一視されているが、サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館に所蔵される《サンクトペテルブルクの二連画》はカンパンの周辺作品と考えられている。内側向かって左側(紋章学的右デクスタ)の「聖三位一体(父なる神のピエタ/恩寵の御座)」、右側(紋章学的左シニスタ)の「謙譲の聖母」から構成されている。この二枚のパネルのうち「聖三位一体」では、坐像の父なる神が力なく傾いだ死せるキリストを抱き、キリストの左肩には聖霊の鳩が留まっている。全身像で捉えられたキリストと父なる神が同一の大きさで表され、さらに、キリストが死せると同時に生ける状態として右手で自らの脇腹の傷を指し示す姿で表されている。この構図は、様式批判によってカンパンの基準作とされている《聖三位一体(父なる神のピエタ/恩寵の御座)》(フランクフルト、シュテーデル美術館蔵)と共通する。パノフスキー(1927)やシャトレ(1996)、ベスフルグ(2000、2008)等が指摘するように、エルミタージュの作例は、後世の北方に伝播する図像の原型として知られるフランクフルトの作例の構図的革新を踏襲している。その一方で、聖母が室内の床に坐す「謙譲の聖母」のパネルは、や

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