鹿島美術研究 年報第31号
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─1922年滞欧活動の軌跡にみる前衛美術交流の国際性─的な関心のみならず科学史や美学といった諸人文科学の関心へと開かれている。とりわけ古典古代の彫刻と18、19世紀の科学的な進展という2つの知識的基盤に立脚しながら展開した美術解剖学が、デュシャン=ヴィヨンの彫刻作品のイメージ生成において果たした役割を検討することで、多様な側面を持つ美術解剖学そのものの認識論的な研究としての成果もまた期待できるだろう。研 究 者:神奈川県立近代美術館 学芸員  三本松 倫 代本研究の目的は、日本の近現代美術史において大正期新興芸術と呼ばれる1920-30年代の前衛運動を牽引し、さまざまな文化領域で活躍したことで同時代に「日本のダヴィンチ」と尊称されながらも、その多様性から今日の歴史的評価が各領域に限定され分立しがちであった村山知義の仕事について、遺族の手元に残る貴重な非公開資料を調査し、また国内外のアーカイヴ資料を精査することで、その国際的な位置付けと日本における先駆者としての役割を検証し、新興芸術と戦前期モダニズムの再考に貢献できる新たな情報や視点を提示することにある。造形美術、創作ダンス、グラフィック・デザイン、表現主義的な舞台美術や建築意匠、小説・評論の執筆、パフォーマンス・イベントやグループ展の企画運営から児童向けアニメーション映画の制作まで、1920年代の東京を舞台にモダン都市文化の全般に自ら「沸騰」と形容する熱狂的態度で創作行為を行った20代の村山知義の軌跡は、今日の現代美術・現代文化を分析し考察するうえでも貴重な先駆例といえる。むろん、その跳躍は村山が美術へ転進する以前に日本で涵養されてきた西欧新興芸術の受容を土壌とし、また彼がベルリンを拠点にドイツ各地で摂取した古典と近代の諸芸術を原動力に達成されたものであった。前者については『大正期新興美術資料集成』(国書刊行会、2006年)をはじめとする充実した考証が重ねられ、ドイツでの村山の足跡についても五十殿利治氏により検証がなされている。これらの先行研究を基に、約190冊のスクラップブックをはじめとする膨大な村山旧蔵資料を共同調査することで成立した初の回顧展「すべての僕が沸騰する 村山知⑥ 村 山知義のモダニズム

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