鹿島美術研究 年報第31号
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義の宇宙」展(神奈川県立近代美術館他巡回、2012年)では、「村山前夜の前衛日本」「村山が摂取したワイマール文化」といった論点を立て、カンディンスキーやアーキペンコなど、村山が作品を見、しばしば知遇も得た同時代作家の仕事を紹介し、国際的な連関性の概観を試みた。その過程で、従来よく知られた村山知義の舞踏写真に類似したポーズを取る舞踏家N.インペコーフェンの写真を発見し、また彼女が実際に踊る当時の映像をドイツの各専門アーカイヴから入手するなど、近年整備環境の進展が著しい国内外の資料を活用することができた。しかし、インターネット等では調査不可能な資料も未だ多い。今回の研究では、各国で整理が進んでいる最新のデータベース資料を現地調査し、「第1回デュッセルドルフ国際美術展」や「国際革新芸術家連盟会議」「大未来派展」など、これまで村山の参加が記述されながら会場記録等の画像資料が確認されていない重要な事象に関する資料の発見や、ベルリンのトワルディ書店で開催された村山の個展に関する資料の調査、帰国後に交換したという海外美術雑誌について各版元や発行人(『メルツ』のK.シュヴィッタースなど)との連絡関係の実証を試みる。研 究 者:成城大学大学院 文学研究科 博士後期課程  岡 村 嘉 子近年発表されたジャコメッティのモデルを務めた哲学者、矢内原伊作による記録の中には、現在財団に保管されている仏像(平等院鳳凰堂雲中供養菩薩の模造)を矢内原がジャコメッティに贈った際にジャコメッティが語った「自分ノヤツテイルノト同ジダ」(矢内原伊作『完本 ジャコメッティ手帖Ⅰ』みすず書房、2010年、p.262)という反応が記されている。このジャコメッティの言葉は、日本美術を称賛していた彼の数々の言及の中でも、とりわけ彼の制作の意味を探る上で看過することのできない重要な問題点を提示するものであると思われる。しかしながら、ジャコメッティと日本についての先行研究は、日本人をモデルにした作品の解釈や制作過程の考察に限られており、日本美術と彼の作品との関係についての考察は、いまだなされていない。そこで私は、従来のジャコメッティ研究において見落とされてきた日本美術との関わりを明らかにすべく、ジャコメッティを含めたパリの芸術家・知識人たちの間で当⑦ アルベルト・ジャコメッティ旧蔵 日本関連資料の分析的研究

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