鹿島美術研究 年報第31号
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時高い関心を集めていた日本美術の側面である「精神性」に注目し、それを探る上で最も重要な手がかりとされていた3つのジャンル、すなわち土偶・埴輪の考古資料、仏像そして禅画を、本研究の3つの核として、ジャコメッティ旧蔵の仏像や書籍を中心に、彼が残した言葉や模写を当時の時代背景とともに詳細に照らし合わせる分析的な研究に着手した。本年度はその一部分である禅画との関わりを、ジャコメッティが実際に足を運んだ展覧会を含む、1960年前後にヨーロッパ主要都市で相次いで開催された、いくつかの禅画展を軸とし研究論文にまとめた。拙論では、ジャコメッティと極めて親しかった二人の人物が展覧会開催に深く関わっていたことや(作家、文化担当国務大臣アンドレ・マルローが総指揮を、画家、在ローマ・フランス・アカデミー館長バルテュスが作品選定を担当)、当時のフランス美術界が、日本美術を積極的に吸収し、そこにこそ今後の活路を見出そうとしていた状況があったことを指摘した。さらに、日本においては絵画史上あまり評価されていなかった禅画が、ヨーロッパで賞賛された理由には、かつてないほどの大量殺戮が行われた2度の大戦を経験し、それまでの価値観が疑問に付される中で、宗教学者鈴木大拙や哲学者オイゲン・ヘリゲルらによって欧米諸国にもたらされた禅宗教への人々の関心の高まりが背景としてあり、禅画もまたその精神的希求にこたえるものとして熱狂的に受け止められていたことを論じた。ジャコメッティがその経験を彼の造形の中でいかなる形に消化したかについては、今後の財団資料調査や土偶・埴輪の考古資料、そして仏像についての研究結果をもとに熟考したい。本年度の研究を通じて明らかになった当時の美術界の状況を踏まえて、残り2つのジャンルである、考古資料と仏像の研究及び財団資料調査を進める必要性を強く感じているが、本研究を遂行するために必要な海外及び国内調査等の費用は、事情によりジャコメッティ財団からの助成が得られない状況にある。 日本美術史の文脈を視野に入れてジャコメッティを捉え直す本研究を遂行できれば、ジャコメッティ作品において、埴輪や仏像及び禅画などの日本の美術がどのように受け止められ、彼の表現形成や考え方にいかなる影響を与えたかが詳らかになることと同時に、西洋美術史の文脈の中で捉えられてきた従来のジャコメッティ像に新たな光を当てるものであろうと思われる。それはまた1950年代、60年代フランスにおける日本美術受容の一端をも明らかにするものと思われる。さらにそれは、美術分野に

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