鹿島美術研究 年報第31号
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とどまらず、日本研究の第一人者レオン・ド・ロニーらの仕事に端を発する19世紀から脈々と続いてきた日仏文化交流の、ひとつの大きな成果をも見出せることになるのではないかと考えている。研 究 者: 筑波大学大学院 人間総合科学研究科 博士後期課程実践女子大学 文学部 助教  中 村 友 代本研究では、古代マケドニアで制作されたアレクサンドロス大王に関連する美術を調査対象とし、マケドニア王家における葬礼習慣と美術を、トルコをはじめとするオリエントにおける葬礼習慣と美術に比較対照させ、構造的に分析する。従来のアレクサンドロス大王に関連する美術史研究には、大きく二つの問題点が指摘され得る。一つは、古代ギリシア美術のコンテクストに位置づける研究が主流をなしてきた点である。例えば紀元前4世紀後半に制作されたと考えられている《アレクサンドロス石棺》(イスタンブール考古博物館)は、イオニア柱を持つ神殿を模した形状や、浮彫の人物表現などから、ギリシア美術との影響関係が盛んに議論されて来た。こうした中、近年の研究においては、より土着の美術や文化の見直しがはかられる傾向にある。この傾向を反映する興味深い研究として、Houser(1998)の論文が挙げられる。Houser の論文は、フェニキアのコンテクストを重視して《アレクサンドロス石棺》全体の構成について論じたものであり、《アレクサンドロス石棺》をギリシア美術の様式発展における主要作例の一つと見なす従来の研究に対し、土着の文化と様式を強調した研究姿勢は、本研究にとっても重要な意義を有すると考える。筆者は修士論文において、本石棺の墓主と考えられているアブダロニュモス王の視点に立った浮彫の図像解釈を試みた。二つめはアレクサンドロス大王に関連する作例については、文献伝承上の記述や場面と、図像との一致を見いだそうとする比較研究が積極的になされてきた点である。アレクサンドロス大王に関してはアリアノスやプルタルコスらによって著された多くの文献が残され、彼に関わる出来事や人物の名前が多く伝えられている。先に挙げた《アレクサンドロス石棺》にも多くの人物が表されているため、彼らを文献上の登場⑧ 古 代マケドニアにおけるアレクサンドロス大王の美術について─ヘレニズム時代の葬礼美術への展開とその影響─

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