植松家と京の絵師たちとの交流については、池大雅(1723〜76)については菅沼貞三氏、円山応挙については佐々木丞平氏によって、詳細な考察がなされている。また、昭和52年(1977)には、東京国立博物館(以下、東博と省略)に83件113点が寄贈され、応挙をはじめ源琦(1747〜97)、長沢芦雪(1754〜99)、伊藤若冲(1716〜1800)など18世紀に活躍した京の絵師たちの作品が伝わっていたことが明らかになっている。東博寄贈作品のうち、応挙下絵1件26点については、応挙及び息子の応瑞が植松家に宛てた手紙の内容から詳細な検討がおこなわれている。東博寄贈以外の下絵(画稿)については、応挙筆「狗子図」の画稿1点が、1997年に佐野美術館で開催された『植松家と文人墨客』展に出品されているだけで、これまで本格的な調査、検証はおこなわれていない。また、七代目季興だけでなく、八代目季敬(号孚山、1807〜86)が交流した岸駒などの円山応挙より一世代後に活躍した京の絵師との交流についても、これまで調査がおこなわれたことがない。筆者が本年行った2日間の調査で確認できた画稿類だけでおよそ1600点あり、それらのなかには、円山応挙筆「四条河原納涼図」(京都・相国寺蔵、旧円満院門跡所蔵)の画稿、「源琦所持」、「芦雪所持」などの註記のある画稿、また、原本が行方不明で写真資料によってのみ確認できる作品等の画稿も含まれていた。本研究では円山応挙をはじめとする京の絵師と交流した植松家に散逸することなくそのまま伝わる画稿を調査することを目的とする。これによって、円山応挙をはじめとする京の絵師たちの作品制作過程について具体的に検証することが可能となる。また、今後の植松家と絵師たちとの交流に関する研究への導入として重要な研究であると考える。研 究 者:神戸大学大学院 人文学研究科 博士課程後期課程 大 杉 千 尋グリューネヴァルトによる〈イーゼンハイム祭壇画〉は、二つの観音式扉によって、最外面を含む三つの面が現れる多翼祭壇画である。第二面はイーゼンハイム祭壇画の中でも最も図像学上の問題が多い面であり、筆者は修士論文で《キリスト復活》を扱ったが、本研究ではそれに引きつづき左翼の《受胎告知》、中央の《天使の奏楽》⑩ グリューネヴァルト作〈イーゼンハイム祭壇画〉に関する研究
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