鹿島美術研究 年報第31号
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大な菓子木型は、第二次大戦中に半数以上が焼失したとも伝えられているが、それでもまだ百点を超える資料が現存している。それらのほとんどは大名家の注文に応えるために高度な技術で制作された菓子木型の最高峰ともいえる優品であるが、これに加えて絵手本などの関連する資料が豊富に残されているのが総本家駿河屋の所蔵品の特色である。それらは大名家とのやり取りの実態を伝えており、この資料群について総合的な調査を行いその全容を把握することは、近世大名家によって育まれた菓子文化と、意匠に対する好みを知るための絶好の基礎的研究となる。本研究は、こうした総本家駿河屋所蔵の菓子木型の全容を解明し、記録作成を行うとともに、国内各地の他の菓子木型コレクションの調査・観察を通して比較研究を進め、その特徴を浮かび上がらせようとするものである。もちろん、他の菓子木型コレクションからも多くの知識や理解は得られるが、情報の豊富さと歴史の幅広い文脈へ展開する可能性という点で、それらはやはり断片的であり、その点では総本家駿河屋所蔵品の重要性が際立っているといえるであろう。本研究を通じて、近世の和菓子の意匠の歴史的変遷過程はもとより、注文主による「好み」の全般的把握や、制作の実態の解明が詳細かつ具体的に行い得る可能性が高いと考えている。近現代には砂糖の普及とともに和菓子の大衆化が進行し、木型の意匠には一定の定型化が行われ、庶民の行事や儀式で用いられる吉祥文を中心に、わかりやすくて多数の人々に共有される意匠への整理が進んできたと考えられる。しかし、近世の大名家で用いられていた菓子の木型には、こうした定型をはるかに凌駕する豊富な意匠がみられるのであり、それらには和漢の古典が縦横に引用され、絵画などの美術作品にも通じる画題がしばしば参照されている。近世の菓子の意匠が、こうした新鮮な発想と大胆な着想で考案されていたことには賛嘆の念を禁じ得ず、ここに日本の美術史上の重要な分野があることを広く明らかにしたい。近世の和菓子は、貴重な材料の入手に始まり、菓子の製法と木型の制作技術があいまって生まれた造形品である。そこには注文主の教養や好みが反映され、もてなしの場のあり方をふまえて意匠の粋が凝らされていた。菓子木型は、これら近世の諸文化の重要な結節点に位置する稀有の資料であり、本研究は、総本家駿河屋の所蔵品の実地調査に即して、近世和菓子の意匠の由来とその実態を、注文主と制作者の関係性の中で具体的に捉えようとするものである。

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