鹿島美術研究 年報第31号
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これまで筆者は以上の聖堂装飾プログラム解釈を論証すべく、まず、「1672年制作の絵画群」に着目し、それらがマニャーラの著書『真理の論考』(1671年)における主張の再現であると同時に、カリダード兄弟会の新施療院(1672年創設決定)における理念の標榜である可能性を探ってきた。それに対して本研究では、もう一方の作品群、なかでも6点のムリーリョ絵画《アブラハムと三天使》、《聖ペトロの解放》、《放蕩息子の帰還》、《身体の麻痺した人を癒すキリスト》、《ホレブの岩の奇跡》、《パンと魚の奇跡》に目を向け、その連作としての構造と機能を解き明かしたい。というのも、これまで同絵画連作は兄弟会の記録(1674年)をもとに「七つの慈悲の業」中、六つの「慈悲の業」を暗示するものとして捉えられるに止まり、各作品の主題選択や連関についての論考は試みられてこなかったからである。この目的に向けて筆者はまず、いかに中世後期以来、「七つの慈悲の業」が図像化されてきたのかを主に絵画や版画の作例を通して調査し、それらと比較することでサンタ・カリダード聖堂作品の各主題選択や表現、堂内配置の特性を探る。また、ムリーリョ連作の制作当時にカリダード兄弟会が置かれていた過渡的な状況も精査し、マニャーラが6点の絵画を介して新たなイデオロギーを神学的な正統性を保証しつつ、兄弟会へと導入しようとしていたことを結論として証明したい。以上の考察に基づく本研究は、これまでの筆者の試論と対をなし、サンタ・カリダード聖堂の装飾プログラムの重層性を明かすであろう。つまり、「聖堂装飾開始当初の作品群」と「1672年制作の絵画群」はそれぞれの制作当時に試みられた兄弟会の理念革新を別個に表しつつ、カリダード兄弟会独自の聖堂装飾プログラムを構築しているのではなかろうか。そして、計11点の作品に込められた「慈悲(慈愛)」や「死」、「聖人」をめぐるマニャーラの神学メッセージを詳らかに解読することは、対抗宗教改革期のセビーリャ、ひいてはスペインの民衆レベルにおける宗教イデオロギーの一端を浮き彫りにするはずである。また、サンタ・カリダード聖堂の美術装飾がムリーリョとバルデス・レアルの代表的な画業に属することに鑑みれば、その解釈は両者の画家研究にも少なからず寄与するであろう。

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