鹿島美術研究 年報第31号
63/132

の文化都市であり、ジャポニスムが最も隆盛した街のひとつであった。「日本人村」と称する工芸職人の一団として訪れたことをきっかけに、ルックウッドに雇用された日本人の陶工・金工師が活躍しており、日本人が美術工芸品を扱う店も存在するなど、日本との直接的な結びつきが深かった土地なのである。ルックウッドは製品の型録を残しており、その中には「モース・コレクションより」という記述が多数あり、参考とした様子が見受けられる。すなわち、シンシナティ美術館が所蔵するモース・コレクションは、ボストンやセーラムのようにミュージアムに寄贈されたコレクションと異なり、かつて陶磁器実制作の現場で保有されていたものであり、アメリカを代表する製陶所に対して直接影響を与えたことが注目される。しかし、モースのコレクションは、従来ルックウッド研究の中でその存在が言及されてきたものの、点数が多く産地が多岐にわたる上、制作者などの情報の少ない日用品が主体であるため、その全貌が明らかとされてこなかった。今回、シンシナティ美術館に残されたモースの蒐集品とそれをもとにした製品の調査を通して、ルックウッドにおける日本の日用陶器の影響を検証する。ルックウッドが同時代の各国の窯業界において多くの追随者を出したこと、また清風與平や板谷波山といった当時の日本の第一線で活躍していた陶磁器制作者たちもその技法を参考としていたこと踏まえると、研究の意義は一地方都市の一製陶所の範疇に留まらず、世界的な文脈に広がる。アメリカにおける日本文化の受容とその日本への還流を考える上で、最も重要な研究対象のひとつといえよう。研 究 者:早稲田大学大学院 文学研究科 博士後期課程  田 中 麻 帆構想本研究の目的は、デイヴィッド・ホックニーが担当した「フランス三部作」舞台美術(メトロポリタン・オペラ(ニューヨーク)にて1981年上演。サティ作曲『パラード』、プーランク作曲『ティレジアスの乳房』、ラヴェル作曲『子供と魔法』)について考察することである。この三部作は、上演当時多くの批評記事が寄せられたほか、ホックニーの一連の舞台美術に焦点を当てた展覧会“Hockney Paints the Stage”にお⑯ デイヴィット・ホックニーの「フランス三部作」舞台美術─音楽と独自のキュビスムから─

元のページ  ../index.html#63

このブックを見る