⑱ 明治期の美術染織に関する一考察 ─明治宮殿を中心に─研 究 者:家具道具室内史学会 事務局 菅 崎 千 秋本研究は、日本近代、特に明治期に建築内を装飾した「美術染織」に注目し、それを建築装飾として捉え、建物全体との関係の中で、その意味や機能を歴史的に考察することを目的とする。美術染織とは、画家に下絵を描かせた絵画を、織、染、刺繍などの染織技法によって、建物の室内を飾ることを目的として壁掛や額などに表したものである。このような織物は、京都の染織産業の近代を語る上で欠かすことのできない存在である。その一方で、これらは建築装飾として製作されたにも関わらず、染織技法や歴史的価値ばかりが論じられることが多く、作品そのものの分析やそれが設置された建物や空間については顧みられることはなかった。本研究でこれらの織物について、表された主題やモチーフなどの作品分析、さらに建築装飾としての観点からの分析など、様々な側面から詳細に考察することは非常に意義深い作業となるだろう。美術染織が設置されたのは多くが皇室建築などの大規模な建物であるが、とりわけ明治宮殿(明治21〈1888〉年竣工、昭和20〈1945〉年焼失の明治・大正・昭和三代の天皇の住まい)の装飾事業は、その先駆けであり大きな意味を担っている。緞帳や壁張、柱隠など、様々な織物が製作された。なかでも本研究で注目するのは、東溜の間を飾った菊池芳文下絵《百花百鳥図》綴錦、西溜の間を飾った今尾景年下絵《富士巻狩》綴錦である。というのもこれらの作品は、内容、規模ともに明治を代表する美術染織の一つであるからだ。筆者は、これらは単なる装飾ではなく、それが置かれた場の性格を定め、そこに「相応しい」と考えられる主題やジャンルによって、その場の格付けを行うと考える。そのことは、この明治宮殿の美術染織に限られたことではなく、内裏や城郭、寺院などを見ればわかるように、近代以前から建物内を飾った障屏画は建築空間に意味を与えてきた。近代以降も引き続き建築と美術は緊密な関係を築いてきたが、美術作品とそれが設置された空間は切り離されて論じられることが多いように思われる。その理由として、西洋文化の影響の有無によって、前近代の障屏画研究とは様々な面で異なり、従来の枠組みとして捉えきれない存在であることが考えられる。その点においても、作品分析に加え、美術染織の建築装飾としての側面にも注目する本研究は価値がある
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