日本では平安時代より、朝鮮半島では高麗時代より独自様式による螺鈿の制作が知られており、以後、中国を含む東アジア各地では、独特な特徴を持つ様々な様式の螺鈿器が過去千年以上にわたって造られてきた。しかしながら、こうした東アジア各地の螺鈿は、それぞれの地で孤立無縁的に独自発展を遂げたものではないことが近年認識され始めている。朝鮮半島の高麗時代螺鈿器は中国元代、あるいは明代の螺鈿と文様や技術等で明らかな共通点があり、本研究の研究対象として取り上げる15-17世紀の朝鮮時代螺鈿漆器を見れば、その形成過程において高麗時代からの流れや独自の発展と共に、中国からの文様的・技術的影響もあって成立したことが予想される。また日本との関わりについては、室町時代後期の年号を持つ唐草文螺鈿鞍や、17世紀初め頃、いくつかの寺院に施入された螺鈿器文様などの存在が、彼の地からの強い文化的影響の具体的な証左であるとして、かねてより指摘されてきたところである。ところで、元・明代の中国螺鈿器は人物や楼閣などを主題とした極めて精緻な表現を持つが、年代が把握できる作例が極めて少なく、また作例の相互比較に有効な唐草文などは副次的・偏在的な存在であり、編年構築を行う上での障害となっている。日本の螺鈿については特に15-16世紀の遺存例が僅少であり、それ単独で変遷を把握するのは相当に困難である。こうした中で朝鮮製螺鈿器は花文や唐草文を主体とし、また中国螺鈿に比べ文様が単純化されていること、さらにこれまでの研究論文や諸図録などを丹念にあたった結果、多いとは言えないまでも47件ほどの当該期作例を見出すことができたことから、これらをできるだけ多く実見し、諸文様や技術・素材などを詳しく検討することで、その流れを整理するのは比較的容易かと予測され、この時代の東アジア螺鈿編年検討には有利な位置を持っていると言える。価値本研究の結果、日中両国の狭間に位置し、両国との影響関係を持つ該期の朝鮮製螺鈿漆器のより精緻な編年構築や、より詳細な文様や技術の変遷理解が得られれば、それは朝鮮王朝期螺鈿の理解に資するのはむろんのこと、並行する日本や中国、また琉球螺鈿の年代の特定や変遷の理解に対しても貢献する点が多いであろう。構想しかしながら本研究の視野はそうした関係地域螺鈿編年の構築に留まっているわけではない。室町時代から江戸時代初期にかけての東アジア外交史は、「日明・日朝貿
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