易」、「倭寇」、「朝鮮出兵」、「南蛮貿易」、「朱印船貿易」など多面的複層的なものであり、結果、社会のグローバル化が大きく進展した時代である。螺鈿は希少な素材を用い、手間と時間をかけて造られた高級装飾品で、社会の特権層のみが所有し得た物であったため、好んで国家間や有力者間での贈答品、あるいは高級商品などとして交換された可能性を踏まえると、より正確な交差年代の確立による相互影響関係の理解深化は、この時代の国際的交流関係の実態を具体的に考える一つの有力な研究材料となることが期待されよう。研 究 者:早稲田大学大学院 文学研究科 博士後期課程 武 田 一 文「聖母の眠り(キミシス)」図像は聖母の死の説話を描く、ビザンティン美術において好まれた主題である。殊に聖堂装飾において、本堂西壁の扉口上部(出口の上部)を定位置とし、壁画の遺る聖堂ならばほぼ描かれていると言っても過言ではないほどの普及をみた。しかし図像の登場から殆ど定型が維持され続けた結果か、研究者の目をさほど引くことなく先行研究は乏しい。筆者はこれまで聖堂装飾における「聖母の眠り」を研究の課題に据え、各地の作例と共に考察を重ねてきた。本調査はその継続として、トルコ・カッパドキアにおける「聖母の眠り」を考察するものである。カッパドキアには特に現存作の少ない中期ビザンティン時代(9〜12世紀)の作例が見出され、これは筆者がこれまで調査したバルカン半島の後期(13〜15世紀)、ポスト・ビザンティン期(15世紀後半〜)の作例に至る図像の展開の先駆けと言えるものである。ビザンティン帝国の版図は現代のバルカン半島、トルコ、イタリアから中東、北アフリカにおよび、単独の主題といえども時代、地域を広範に扱った研究は容易でない。その中においてカッパドキアの調査は、比較的狭い範囲に多くの重要なモニュメントが認められ、かつ古い時代に属するものが少なくないことから、筆者の企図する「ビザンティン美術における「聖母の眠り」図像研究」において資すること大である。文献資料では、聖堂内の装飾プログラムは把握が時に難しく、また聖堂内の他図像との繋がりも見えにくい。「聖母の眠り」は定位置が固定され、定型が踏襲される図像であるが、一方時代によって小さなモティーフが追加され、登場人物の仕種にも若干の㉓ ビザンティン聖堂装飾における「聖母の眠り」図像研究
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