鹿島美術研究 年報第31号
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変化が見られることも事実である。これらの小さな変化は、聖堂内における配置と信徒の動線、向かい合う図像との関係などに起因すると考えられる。筆者はこれまで主に後期の作例を基に上記の変化を考察してきたが、カッパドキアにはそのような定型からの逸脱を示す作例があるとされる。このような非定型の作例を、聖堂のプログラム、隣り合い向かい合う図像と共に調査することが重要である。中期の作例には、首都コンスタンティノポリスで制作されたと考えられる象牙浮彫の一群があり、これらは現代へと繋がる定型を10世紀の時点で保持している。欧州各地の美術館に収蔵されたこれらの作例を併せて調査する予定である。時間軸では並行する定型と定型からの逸脱は、辺境において古い型が維持されたことを示すものなのか、支持体の違いによるものなのか、あるいはカッパドキア独自のプログラムが反映されているのか。これらの問題に新知見を与えることが期待される。定型化の観点では、古代ギリシャ・ローマや初期キリスト教時代のモティーフからの影響も考慮する必要があろう。仏教美術の「釈迦涅槃図」が、聖者の葬送という同じテーマを持つとはいえ非常に類似した構図をもつことが示唆的である。主に文献資料にあたり、出来るだけ広範な視野の下に考察を進めたい。以上の作業から、ビザンティン美術の聖堂装飾プログラムの緻密さ、従来見過ごされてきた聖堂装飾における「聖母の眠り」の重要性を浮かび上がらせることが目的となる。「聖母の眠り」を理解することは、聖堂を後にする際、常にこれを目にしたビザンティン人の心性にも近づくことができるものとなろう。研 究 者:秋田公立美術大学 美術学部 教授  志 邨 匠 子本研究の最終的な目的は、冷戦下の日本とアメリカの関係を美術的な側面から明らかにすることである。開国、維新、戦争、占領、復興、高度成長と日本が歩んだ道の背後には、常にアメリカとの関係があり、ソ連が崩壊するまでは冷戦構造を無視することはできない。日本にとってアメリカは、他の西洋諸国と異なり、「外国=アメリカ」を意味したほどに、突出した存在であった。そして日米同盟の是非が問われる現在において、日本とアメリカの関係性を、戦後・冷戦期に遡って研究する意義は大きい。なぜなら占領期にはじまるアメリカとの関係が、今日の日米関係の大部分を形成した㉔ シャーマン・リーと冷戦下のアメリカにおける日本美術受容

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