からである。この目的を達成するために、冷戦下、Ⓐアメリカで開催された日本美術展覧会、Ⓑ日本で開催されたアメリカ美術展覧会、Ⓒ日米の美術交流に深く関与した人物、についての調査研究を構想している。Ⓐ、Ⓑについては、すでに着手しており、今後も継続していく。Ⓒについては、シャーマン・リーの他に、ランドン・ウォーナー(Langdon Warner)、矢代幸雄、イサム・ノグチを予定している。シャーマン・リーは、GHQの職員という行政的立場を経て、アメリカの美術館に勤務し、日本美術史の著述をおこなった人物として、当時の日米美術交流のキーパーソンと言えるだろう。しかし、このような業績にもかかわらず、日本ではほとんど研究がなされていないのが実情である。その要因のひとつには、ほとんどの日本人研究者は、英語で書かれた日本美術に関する著述に、無関心であることである。一般的なアメリカ人が日本語を読めない以上、日本人が英語で日本美術史を著さない限り、英語の日本美術書がアメリカにおける「日本美術」となる。したがって、まずは、リーをはじめとするアメリカ人によって著された日本美術史を検証し、日本美術がアメリカでどのように受容されたのかを明らかにすることは、日本美術史の国際性を洞察する意味において、価値のある研究と言える。冷戦下、アメリカにとって日本は、対共政策の重要な砦であった。美術も、アメリカ人を親日化するために利用された。シャーマン・リーが、シアトルやクリーブランドの美術館でおこなった日本美術コレクションの充実や、日本美術関連の展覧会、そして日本美術に関する著作は、親日世論を形成する役割を果たし、アメリカにおける「日本美術」受容に寄与したと言えるだろう。共産主義の脅威を阻止するために、リーは日本美術を、“static”“benign”なものと捉え、その静的な側面を強調したとの解釈もある(Alexandra Munroe, The Third Mind, An Introduction, 2009)。リーの日本美術観は、アメリカ人にどの程度影響したのだろうか。アメリカ人にとって好ましい日本美術像とは何か、共産圏の中国と差別化すべき日本美術の特徴とは何か、といった視点から、リーの活動を精査する必要があるだろう。以上のように、本研究は、日米関係における今日的な意義、アメリカにおける日本美術史の検証、冷戦構造と日本美術の関係、といった多様な観点から、研究に値するテーマであると考えている。
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