鹿島美術研究 年報第31号
78/132

いまだ多くの問題が遺されているにも関わらず、従来の研究においてこれらの点が全く触れられてこなかったことは、大きな問題であると考えている。中国・韓国の八部衆像の研究成果を基に、日本国内の作例との比較を通して図像と尊像構成の点から再考察を行うことは、すでに十分な研究蓄積がある興福寺像においても、取り組むべき課題であると考えている。興福寺像における群像構成と図像的特徴を確認することにより、そのような特徴と構成を有する八部衆像を造立するために必要な教理的背景と情報経路が明らかにされれば、おのずと、興福寺像の造立背景および関与した人物も再考されよう。このように、従来は興福寺の歴史的背景、興福寺像に関する文献史料、奈良朝の仏教史、奈良時代の仏教彫塑像の様式的特徴に依拠してきた興福寺像に対し、ここにあらたに東アジア的広い視座に立った八部衆像としての構成と図像的特徴というアプローチを加えることにより、これまでとは異なる論点により興福寺像を論じることができると考えている。研 究 者:九州国立博物館 主任研究員  丸 山 猶 計筆者は、日本書道史における和様の書の本質を追究することを目標としており、本研究においては、小野道風(894〜966)の和様書法の特質を抽出し、藤原行成(972〜1027)のそれと比較し具体的に解明することを目的としている。小野道風の代表的作例に、国宝「三体白氏詩巻」(平安時代・十世紀、正木美術館所蔵)がある。これは、『白氏文集』巻五十三を揮毫した断簡で、都合六首の白楽天詩を二首ずつ楷書・行書・草書の三書体を使い分けて執筆したものだが、とりわけ行書体の使用が特筆される。これにさかのぼる九世紀初頭の「三筆」の時代の行書体には、草書的要素や楷書的要素が混在していたが、十世紀のこの作品においては、行書体が楷書体と草書体と同等に鼎立し、純然たる一書体としての独立的な地位を占めている。三書体を書き分けている実態から、小野道風がそれぞれの書体に精通し、明確な意図をもって揮毫していることが明らかである。つまり、草書体や楷書体とは一線を画した純粋な行書体が存在しているという歴史的事態を本研究では重視し、和様書法の本質追究に不可欠の要素のひとつと見なすものである。㉖ 小野道風の書法的特質に関する研究

元のページ  ../index.html#78

このブックを見る