鹿島美術研究 年報第31号
80/132

学生の中で、戦後に帰国せず日本に残った人々の痕跡を追跡することによって、第一世代の在日朝鮮人美術家の始まりと、現在までの歴史を明らかにすることにある。戦前と戦後をまたいで、どのような意識と造形活動で、当初の異邦人から日本での生活者として活動したのかを探ることによって、日本社会の一部であると同時に、韓国と北朝鮮の一部でもある在日朝鮮人社会全体に関する理解を深めることを目的とする。特に、第一世代の在日朝鮮人に関する研究の場合、時間の経過により、遺族と関連資料が消失する可能性があるため、現時点での研究は切実であり、また時宜的な意義があると思われる。また本研究は、これまで疎外されてきた「少数民族の美術史」の成立に寄与することが出来ると思われる。どの国にも完全に属することなく、注目されることもなかった在日朝鮮人美術家であるが、彼らは確実に朝鮮半島に根を持ちながら日本で活動した存在であり、事実上、両国の近代美術史に含まれるべき文脈にある。しかし彼らは、歴史的な問題から日本社会で差別されてきたのは勿論のこと、政治状況や利害関係から、韓国と北朝鮮からも「民団」と「総連」に分断され、経済的な支援や研究も統合的に行われてこなかった。そこから本研究は、政治色に拘ることなく、活動拠点であった日本の画壇とも切り離すことなく、総合的な観点から研究を進める。それによって、これまで疎外されてきた「マイノリティー」、即ちメインストリームの外側にいた彼らの一連の美術活動を、日本と韓国、北朝鮮の美術史へと編入することを試みる。本研究を通じて、美術史的には、日本の留学経験を持つ戦前の朝鮮人美術家たちの、戦後における人的移動が明らかになるとともに、日本と韓国、そして北朝鮮という、それぞれ異なる3カ国の環境の中で、留学という同一経験をもつ人々がどのような活動を展開していったのか、その様相の差異が明らかになると思われる。またその美術の展開は、当然、戦後における各国の社会的環境や歴史的事件といった社会的諸要素と絡み合っており、この情報の共有を通じて近現代をまたぐ3カ国間の相互理解に繋がると思われる。最終的に期待するのは、政治的・歴史的に敏感な事案が多い東アジアの現在において、美術を通じて相互の歴史と存在をより深く理解し合うための、ささやかな助けになりたいと思う。

元のページ  ../index.html#80

このブックを見る