鹿島美術研究 年報第31号
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た、博士論文のそれと同じく、研究史の陥欠である挿絵の図像・様式の精緻な分析を実証的に行い、かつ社会学的な視点も交えることで、新たな知見を提示することにある。一般に、エフェメラルな媒体と捉えられがちな挿絵プログラムを扱うことで、これまで美術史学・演劇学研究の双方が取りこぼしてきた世紀末の挿絵文化に関する新たな視点を提供し、さらなる学際的議論の進展に寄与するものと考える。研 究 者:京都造形芸術大学 非常勤講師  奥 井 素 子尾形光琳筆「西行物語絵巻」(宮内省三の丸尚蔵館蔵)は、光琳が俵屋宗達筆「西行物語絵巻」の渡辺家本(文化庁蔵)を模写していることはすでに指摘されている。しかし、その模写方法については、未だ詳しく研究されていない。これまで模写のなかでも、作品の傍らで見て写す、臨写という方法で制作されたと考えられているが、しかし、「西行、武蔵野の原で老僧に会う段」の5頭の鹿が描かれている場面をパソコン上で同じ比率で縮小し、重ねて透過図で確認したところ、5頭の鹿の輪郭線が一致することがわかり、従来言われてきたような臨写による模写ではないことが考えられる。今回の研究の目的は、光琳の模写方法を明らかにすることである。光琳と宗達の「西行物語絵巻」のすべての図像が一致するのかどうか確認することと、一致するならば、光琳作品が宗達作品をトレースしたのか、それとも宗達らの下絵などを使用して制作したのかが想定できるが、その解明をも試みることである。これまで、宗達作品を模写した光琳の「風神雷神図屏風」「槇楓図屏風」「松島図屏風」においては、従来臨写して制作されたと考えられてきたが、すべて下絵か粉本によって制作していることを明らかにした。そして本研究において、光琳が宗達作品を模写した「西行物語絵巻」の模写工程を調べることで、光琳と宗達の関係をも解明することにつながることを期待している。最終的には光琳と宗達の関係を解明することを大きな目標として掲げている。光琳がいかにして模写したのかその工程を考察する本研究の意義は大きく、また光琳がなぜこれほど宗達及び工房作と同じものを制作できたのか、両者の関係をも考察しようとする本研究の価値は高い。㉙ 尾形光琳の模写研究 ─「西行物語絵巻」について─

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