鹿島美術研究 年報第31号
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琳派は近代に分類され、形づくられた流派である。そして、宗達から光琳の間は断絶していて、光琳は宗達を私淑し、宗達作品を探し求めて模写したと考えられているが、この光琳の模写研究によって、宗達と光琳の間に第3者の存在が現れることも想定できる。俵屋工房の末裔らによって下絵や粉本が光琳に引き継がれた可能性も考えられるからである。本研究では、光琳の模写が宗達作品をトレースしたか宗達らの下絵を使用したかが想定でき、そこから、光琳が宗達作品をトレースしたのか、下絵や粉本が引き継がれたかという状況が想定されるわけであるが、どちらの場合にしても光琳観が変わることになる。もし、後者の場合が立証できれば、光琳観だけでなく琳派観も大きく変わることになるだろう。本研究はそれらを解明するための重要な糸口になると思われる。それは、琳派研究の構築へも多分に寄与するものと考える。研 究 者:九州大学大学院 人文科学府 博士後期課程  矢 追 愛 弓世紀末、「宿命の女」と呼ばれる数々のモチーフは、制作者の心理状態や思考が託されることによって、本来のイコノロジーに加え独自の象徴性を獲得する場合があった。本研究は、フェルナン・クノップフ作品について、「宿命の女」をはじめとした作品のモチーフの成立と展開について、文学との関連から考察し、直接的・間接的な様々なレベルでの影響関係を明らかにする。本研究は、以下の点で意義があるものと考える。第一は、先行研究の補完的研究としての意義である。クノップフは文学と結びついた作品を多く残しているが、そのほとんどが文学作品の内容の説明的描写ではないこともあり、先行研究においても、その関連については、クノップフの文学作品に対する共感を指摘する以上の十分な成果は上げられていない。しかしながら、拙稿(2013年)で触れたように、代表作《愛撫》の銘文を解読し、その典拠を明らかにすることによって、クノップフが複数の異なる文学作品に共通する問題を読み取り、スフィンクス像を通じて継続的にそれを追求していたことが明白となった。よって引き続き文学との関連から他の作品についても考察を加えていくことで、従来クノップフ研究において看過されていた問題に光を当てることとなる。第二に、筆者はこれまでフェルナン・クノップフの作品研究を行う中で、そこに登㉚ フェルナン・クノップフ作品における「宿命の女」 ─文学との関わりから─

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