鹿島美術研究 年報第31号
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場する「宿命の女」モチーフには、欲望や快楽といった意味合いが付与されていることを検証し、それが「無意識」の自覚という心理学的問題に結びつく可能性を想定するに至った。19世紀は、フロイトに代表されるように「無意識」というものが科学者や哲学者によって研究され、芸術家もまた制作活動を通じてそれを探求していた時代であった。従って本研究は、そのような時代相の中で、個人がいかにこの「無意識」の問題を意識していたかという一つのモデル・ケースを提示するという意味で価値がある。そして第三に、世紀末のベルギーでは、若い芸術家達による活動が活発であり、「二十人会」や「自由美学」といったサークルにより、絵画、文学、音楽など様々な分野の垣根を越えた芸術運動が行なわれていた。そしてクノップフこそは、その活動の中にあって、若い同年代の作家達の詩集などの扉絵や挿絵を手がけることで、文学と絵画を結ぶ存在として活躍した人物であった。しかしこの頃のベルギーの動向は従来フランス文化圏の内に含まれており、ベルギーを中心に視点を据えた研究はいまだ進んでいるとは言い難い。故に、クノップフの文学と関連した制作活動を探ることは、当時のベルギーにおける文化的状況の再評価を考える上でも意義深い。最後に、象徴派芸術に関するこれまでの研究動向を鑑みると、1975年、G. ラカンブル、H. H. ホーフシュテッターら象徴派研究の基礎を為した研究者が関わり、汎ヨーロッパ的にその潮流を辿る展覧会 Le symbolisme en europe が四都市(ロッテルダム、ブリュッセル、バーデン=バーデン、パリ)で開催された頃から、その再評価が進んだ。しかし少数の画家を除き個々の作品について研究し補完していくような論考がそれ以降飛躍的に増えたとは言い難いのが現状である。よって本研究の成果を国内外で発表することにより、これまで積極的な個々の作家研究が見られなかった象徴派芸術に対し、より活発な議論が開かれる契機となりうる。研 究 者:九州大学大学院 人文科学府 博士後期課程  李   智 英本研究の目的は、広義的には、東アジア絵画史における朝鮮王朝前期仏画の領分を形成したものへの問いかけを明確にしながら、その特徴を再確認していくことにある。そのためには、先行研究で十分に議論されることのなかった中国との関係を、高㉛ 朝鮮王朝前期仏画にみられる明仏教文化の受容

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