麗から朝鮮王朝への時代相の変化とあわせて分析し、解明していく必要がある。その問題点の所在を把握し、朝鮮王朝前期の仏画にみられる要素について再検討し、先行研究が残した諸問題、また博士課程の勉強を通して新たに生じた問題を解明していくことで、韓国の仏画研究において空白期と考えられている朝鮮前期の仏画に関する具体的な理解に寄与したい。本研究は、まず、韓国絵画史における中国との関係を解明するため、朝鮮前期仏画を、前代の高麗仏画との関係性ばかりでなく、北京遷都後の明代の仏教文化との密接な関係性の中から意味づけ、広く東アジア世界の中で位置付けする点でその意義がある。また、研究方法として取り上げた、「朝鮮王朝前期仏画にみられる新しい要素が、当時、高麗仏画と同等の規範性をもつ対象として、明仏画を受容したことによる特徴である」とする観点は、形態上の変化にとどまらず、広く当時の社会状況や制作環境などを視野にいれて、朝鮮前期仏画の成立と展開について考察を進めていく点で重要性が認められる。この作業を通して、作例に現われている特徴を、従来の様式発展史から一端、解放し、当時の朝鮮王朝仏画をとりまく文化的・宗教的環境に留意しつつ、その内部から、解明していくことにする。この研究手法は、いわば従来の高麗仏画の古典性の強調にもとづく影響論を相対化し、むしろ朝鮮王朝の時代相を議論の中核に据えながら、朝鮮前期仏画の造像に関わった人々が、自国の過去や隣国の中国を、いかなる視界として認識し、新たな造形を模索していったのかが解明できる作業になると考える。そして、本研究は、15世紀仏画に対するこれまでの認識がかわる契機となりうる。これまでの研究では、15世紀の仏画に対して、16世紀の仏画や朝鮮王朝後期の仏画の前例としてのみ参照されてきたという消極的な評価であった。これに対し、本研究は、15世紀朝鮮前期仏画を、高麗仏画と朝鮮後期の仏画の共通性と差異を解明するための重要な役割を担ったキーとして再評価を試みた点でも意義深いものである。従来、朝鮮王朝前期の仏画研究では、16世紀の文定王后(1501−65)が活躍した時期を最盛期とする見方が主流で、当該期の作例を中心に考察されてきており、こうした見方は、16世紀初めの燕山君による徹底した廃仏以降、明宗代になってようやく文定王后が仏教を復興し、数多くの仏画を発願したという史実に鑑みてのことである。本研究によって、文定王后による仏事を先取りするかたちで同様の繁栄をみせていた15世紀の仏事の意義が改めて検討されることが期待される。15世紀における王室周辺仏事や仏画
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