によって、これまで広く研究されてきた抽象表現主義に対して新しい光を投げかけるとともに、抽象表現主義と同時代のヨーロッパのアンフォルメルや日本の前衛書道との関係についても重要な新知見をもたらすことを筆者は目指している。研 究 者:ニューヨーク市立大学シティ・カレッジ校美術史コース 修士課程 本研究の意義として、先ず、日本美術という新たな視点でホッパーを分析することが挙げられる。第一次世界大戦以後高まりを見せた愛国主義的な風潮を背景に、当時のホッパーはヨーロッパ美術の影響がない「アメリカ的な画家」として高く評価された。これは戦後も一貫して続き、ホッパーの描くアメリカの地方風景や都市風景は、まさに古き良きアメリカそのものであると見なされた。しかし、画家の死後その作品が寄贈されたホイットニー美術館を中心に研究が進み、それまでにない新たなホッパーの側面が明らかにされた。1980年に開催された回顧展において、当時キュレーターであったゲイル・レヴィンが画家のフランス美術、フランス文化への傾倒を明らかにした。以後、ホッパーと映画や写真との関連、画家が現代美術に与えた影響など、多様な視点でホッパーの研究が進められている。だが、ホッパーと日本美術との関連性を指摘する研究はほとんどなく、本研究で同点を明らかにすることによって、より深くホッパーの芸術性を分析することが可能となるだろう。本研究では、1900年代から20年代のホッパーの言説や芸術理念を詳しく調査することも試みる。これは、ニューヨーク美術学校での勉強からフランス留学を経て、アメリカで本格的に活動し始める時期にあたる。この間、画家は自らの絵画様式を模索し続けた。実際に≪青の宵≫を制作した当時、ホッパーはパリ滞在時に強い影響を受けた印象派からの脱却を試みており、その前年に描いた≪ヨンカース≫では、フォーヴィズム風の荒々しい筆触を用いる。このように、ホッパーは当時独自の造形表現を試行錯誤しており、新たな媒体として版画制作に着手したこともその表れとみなせるだろう。本研究では、多様な芸術に目を向け、その表現を取り入れながら自己の絵画表現を確立していくホッパーの姿を詳しく分析していく。山 田 隆 行㉝ エドワード・ホッパーの初期作品にみる日本美術との関連性について─≪青の宵≫(1914年)を中心に─
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