日本におけるホッパーの研究の問題として、ホッパーの言説がほとんど邦訳されていないことが挙げられる。展覧会カタログや美術論文に掲載された断片的なものを除けば、画家に関する一次資料はほとんど邦訳されていない。したがって、ホッパーに関する一次資料を調査する本研究は、日本におけるホッパーの研究にも大きく貢献できることが期待される。ホッパーと日本美術の接点を探ることは、1910年代20年代アメリカにおける日本美術の受容も明らかにすることになるだろう。十九世紀後半のパリでジャポニズムが流行したように、十九世紀後半から二十世紀頭にかけて、アメリカ印象派の画家たちに日本美術が強い影響を与えたことは周知の通りであり、このなかにはホッパーの美術学校時代の師であったウィリアム・メリット・チェイスも含まれる。しかし、ホッパーをはじめとするその次世代の画家と日本美術との関連を論じる研究は少ない。これは第一次世界大戦から大恐慌にいたるアメリカで、「アメリカとは一体何か」という愛国主義的な問いが美術や文学で盛んに議論されていたことと関係すると思われ、このような社会的状況のなかでは、日本美術が次第に受けいれられなくなっていったとしても不思議ではない。本研究では、ホッパーという一人のアメリカ人画家の目を通して、日本とアメリカの文化的つながりを明らかにしていくことも試みたい。研 究 者:兵庫陶芸美術館 学芸員 梶 山 博 史従来の日本陶磁に関する研究で、美術史の俎上で考察が行われたのは、鎌倉・室町時代の渥美・瀬戸、桃山時代の志野・織部、江戸前期の伊万里、古九谷様式、乾山焼などであり、それ以外の作例で、美術史的視点から具体的な考察が行われた陶工や作品は皆無に近い。一方、日本陶磁史の研究においても、展覧会や美術全集などで取り上げられるのは、茶の湯で用いられる抹茶器がほとんどである。筆者は、美術史において日本陶磁を対象とした研究が極めて少ないことと、その少ない研究が抹茶器に偏っていることが、今後の日本陶磁に関する研究に停滞を招く可能性が高いことを危惧している。本研究は、仁阿弥道八や尾形周平をはじめとする、江戸後期の京焼陶工たちにとって、煎茶器が重要なレパートリーであったこと、そして、彼らが明・清時代の中国文㉞ 陶磁器制作における版本・写本の利用について ─江戸後期の京焼を中心に─
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