鹿島美術研究 年報第31号
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を述べる。●画風の展開については、大規模な展覧会により作品は多く紹介され、検討材料に恵まれている。蕭白の作品は款記から制作年代が分かる作品は少ないが、複数の印章の欠損具合を比較していくことで、年代はかなり絞りこむことが出来、編年は先行研究によって着実に進展しているだろう。しかしながら、全体の分析については、辻惟雄氏らによって示された「形成期(〜33歳頃)、高揚期(34〜36歳頃)、円熟期(37〜42歳頃)、晩年(〜没年)」という大まかな流れを踏襲するに止まる。新出の作品「渓流図襖絵」は先行研究で年代の判定に使用された「曾我蕭白」印、「蕭白」印に加え、30歳台前半に集中して使用されたと見られる「鸞山」印が用いられているため、前後に制作されたと目される作品の編年の核となる点で貴重である。この「鸞山」印の欠損推移については、これまで検討されていなかったが、本研究では使用作例を洗い出したうえで各作品の制作年代を再考し、全体の展開をより詳細に分析する。さらに、本作に描かれた岩と渓流の形は、同時期の「牧馬図」(個人蔵)、後に描かれた2つの「群仙図屏風」(文化庁・東京藝術大学)、「酔李白図屏風」(ボストン美術館)など大画面人物画の背景に使用されている。同じモチーフを作品ごとに巧みに変化させながら用いる様は、蕭白の入念で理知的な制作態度を示す好例であるだろう。●筆者は、蕭白が初期作において粗放で大胆な画・描き込みが多く緻密な画、両方の要素を獲得していたことに注目する。このことは、精緻な花鳥画・山水画と粗放な人物・山水画が貼り交ぜられる「人物山水花鳥押絵貼屏風」(石水博物館、30代前半の作)に明らかである。  従来「粗放から緻密へ」という大きな流れで語られることの多い画風の変遷であるが、正確を期するならば、粗・密2つの要素が競い合うように進化を遂げながら、画業のピークともいえる35歳頃を迎え、30代後半〜晩年に向かい、「密」に傾きながら形式化していく様相を捉えて論じる必要があるだろう。さらに「渓流図」は蕭白作品の中では、比較的穏健な作風を示すものであるが、処々に墨画ならではにじみやぼかしを活かした、大胆な表現も看取できる。初期作に見られる敬輔風の模糊とした雰囲気を残しつつも、水流や樹木には粗・密を併せ持つ、抑制のきいた画面構成である。「渓流図」と制作年代が近い作には、このような中間的な画風を示す例(「寿老人鹿鶴図」(個人蔵)等)が散見されるが、画風のばら

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