鹿島美術研究 年報第31号
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も異なったところで、別々に管理されている。しかし池田家の育んだ美術や文化という視点に立てば、これらは全て池田家によって生み出されたものである。そのため、これらの全体像を把握した上で、「池田家様」とも評される瀟洒な池田家伝来の装束などについて、その材質・文様・構造などを分析することができれば、近世を通して池田家が生み出してきた、能楽美術や文化の源泉を知ることが可能になる。また能楽関係資料は、それ自身に年記がない場合、制作された年代や制作した人物、そして目的を特定することは難しい。しかし池田家の場合、岡山大学附属図書館所蔵池田家文庫には当時の記録を記した藩政資料が現存している。さらに林原美術館には、藩主自筆史料を含む藩主に近しい人々が記した、藩政資料とは異なる記録が現存している。平成24年11月に筆者が担当し開催した企画展「能のいでたち」では、正徳4年(1714)に記された「御面控」(林原美術館所蔵)を初公開したが、これは当時の池田家が所蔵していた能面の目録であり、能面の由緒(制作年・本面の所在・だれが、何処で、なんのために制作したか)が記されていた。ここに記された能面の一部は、当館で所蔵しているものも含まれていたため、現在解読作業をおこなっている。また林原美術館では所蔵していない能面でも、池田家旧蔵のものであることが判明すれば、「御面控」に記載されている可能性が高く、それらについても同様のことが解明されるであろう。このように、池田家旧蔵の能楽関係資料の全体像を明らかにし、記録や藩主自筆史料などの文書資料とも照合していくことにより、近世大名池田家がはぐくんだ能楽美術・文化の価値を解明する端緒としたい。研 究 者:京都造形芸術大学 非常勤講師  熊 倉 一 紗本研究の目的は、七人社の機関誌である『アフィッシュ』、商業美術家協会の主宰1920年代から30年代にかけての日本では、海外から最新の美術やデザインの動向が流入するに伴い、近代に相応しい広告デザインの必要性が叫ばれ始めていた。こうした要求は、図案研究団体の簇生やそれら団体の機関誌の発行といった具体的実践となって結実する。その代表格とも言うべき図案研究団体・職能団体が七人社や商業美術家協会である。㊵ 1920−30年代日本における広告デザインの研究

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