鹿島美術研究 年報第31号
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本の視覚文化を探求する学問分野への応用が十分考えられる。研 究 者:京都府立堂本印象美術館 主任学芸員  山 田 由希代本研究は、堂本印象画塾・東丘社を取り上げ、その活動の足跡を詳細に辿ることによって、これまでの美術研究ではほとんど注目されてこなかった近現代の京都画壇における画塾の一側面を明らかにすることを目的とする。東丘社は、昭和9年、堂本印象(1891-1975)によって創立され、日本画の研究団体として今なお脈々と続き、京都画壇の発展に大きく貢献している。三輪晁勢、山本倉丘ら数多くの塾生を輩出し、京都でも有数の規模と歴史をもつ東丘社の実態について、印象の実際的な日本画指導法だけでなく、当時の京都画壇における画塾のあり方を具体的に検証することは、京都画壇との関係における東丘社の新たな存在意義を明らかにし、定義をするという意味で意義あることと考える。近代以降の京都における画塾は、竹内栖鳳の竹杖会、山元春挙の早苗会、西村五雲の晨鳥社、西山翆嶂の青甲社、そして堂本印象の東丘社のほかにも菊池契月塾・中村大三郎画塾など数多く存在した。近代京都の美術は、学校教育だけでなく、これら画塾の組織によって支えられてきたことから、画塾の存在は京都画壇において大きな特色であるといえる。しかし、近年まで画塾についての詳細な研究は、福田道宏氏による「中村大三郎画塾の研究」(『美術フォーラム21』第16号、醍醐書房、2007年)のほか、これまでほとんどされてこなかった。本研究では、東丘社が京都画壇でどのように影響し展開したのか、東丘社が発行した雑誌や展覧会の出品作品やカタログなど残された資料に加えて、印象存命中から現在も東丘社に所属している日本画家への聞き取り調査をおこなうことで、これまで注目されなかった画塾の実態を明らかにしたい。そして、東丘社を基軸に、その他の画塾におけるそれぞれの指導方針についてもあわせて調査し、比較検証をおこなう。これによって、近現代の美術史における堂本印象の画塾・東丘社の独自性とその展開、および京都画壇における画塾の役割を明らかにすることができよう。本研究は、また、近現代の京都画壇のあり方について重層的な理解につながるという点で有効かつ価値があると考えられる。㊶ 堂本印象の画塾・東丘社に関する研究 ─近代京都における画塾の一側面─

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