鹿島美術研究 年報第32号
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た。この作品について、キュビスム期のカタログレゾネの編者であるピエール・デクスとジョアン・ロセレットは制作時期を特定していないものの、エヴァの死後に制作された可能性を示唆しているが、パラウ・イ・ファブレは上記の著書において、これを彼女の生前の最後の姿を描いたものであると考えている。筆者は2014年に宮崎県立美術館でこの作品を熟覧し、同館の学芸員に本格的な調査を申し入れている。この作品の具体的な制作時期の特定や制作過程を明らかにすることによって、描かれている鳩などのモティーフの持つ意味や、エヴァの身体を影で象った透明な姿で描き出している特異な表現の意義を明らかにすることができると考えている。《アルルカン》(1915年)は、この作品についてピカソが記したガートルード・スタイン宛の手紙の内容から、エヴァの死の直前に制作されたことが明らかである。ウィリアム・ルービンは、不気味な笑いを浮かべるアルルカンの像と、傍らの描き残しによってあらわされる画家の横顔とを重ね、これを死に至る恋人に寄り添うよりも、作品制作に打ち込むピカソの残虐性のあらわれであると考えてきた。この作品の前後に制作された《肘掛け椅子のベルベット帽の女と鳩》の制作時期を明らかにできれば、ふたつの作品に込められたピカソの恋人に対する対極的な想いを表現したものとして位置付けることができるだろう。研 究 者:大田区文化振興協会 職員  小 泉 篤 士ギリシア美術を語るうえで、作品そのものを移入し今日まで伝えた都市ローマ、および失われた原作をかろうじて形として留めたローマン・コピーの存在が看過できないことは言うまでもない。そのようにして残された作品はローマ人自身の選択的受容の結果であり、これによってギリシア美術の全体像をただちに再構成しうるものではない。ローマ人の好みとは何だったのか。そこをはっきりさせないうちに、ローマ人のバイアスを取り除いてギリシア美術の特質を描出することは不可能なはずだ。これが在ローマの古代彫刻作品を研究対象とする必要性を私が感じたそもそもの発端である。ローマに持ち込まれた作品は、在ギリシアの作品にも増して後代の芸術家によく知られ、その後の美術史に及ぼした影響力は計り知れず大きい。例えば、1506年に発見㊵ 古代ローマ・マエケナス庭園の彫刻コレクション

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