鹿島美術研究 年報第32号
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された《ラオコーン》群像は近年の研究(cf. Volpe and Parisi 2010)で発掘地点の詳細が明らかになったが、その場所はマエケナス庭園(Horti Maecenatis)の敷地内であった。他にも、サルスティウス庭園(Horti Sallustiani)址出土の《ルドヴィシの玉座》、ラミア庭園(Horti Lamiani)址のミュロン原作《円盤投げ》の大理石摸像など、著名な作品がことごとく「庭園」(Horti)と呼ばれる場所と結びつく。これほどの作品が集められていた「庭園」とは何か。どのような作品がどのように利用されていたのか。現在まで私は前述の《ルドヴィシの玉座》の他、同様に著名な《瀕死のガリア人》、《くずおれるニオベの娘》等が蒐集されていた歴史家サルスティウス(Gaius Sallustius Crispus, 前86年−前35年)の庭園を対象として研究を進めてきた。作品の個別研究、同庭園内の他の作品との比較によって一定の成果は得られるが、当然ながら、その蒐集の特質は他の庭園との比較によっていっそう明確なものとなる。以上のような経緯を経て、今回研究対象に据えるのがガイウス・マエケナス(Gaius Cilnius Maecenas, 前70年−前8年)の庭園である。今日の文化芸術支援活動の呼称「メセナ」の語源ともなった、文芸擁護者として名高いこの人物の美術蒐集活動、その審美眼がいかなるものであったかは興味深い。郊外の田園地帯に設けられる「別荘」(Villa)と違って、「庭園」は都市中心部にほど近い立地に造られるため、その蒐集の公開・展示は自身の思想的表現や社会に向けたメッセージ性を帯びたものとなりうる(cf. Wallace-Hadrill 1998)。それはいかなるものであったか。作品の個別研究および作品相互の関係の考察を通じて、マエケナスの蒐集意図の解読、作品解釈の可能性を論じる。庭園そのものは現存せず、後代の土地所有者の邸宅や蒐集品と相まって、何がマエケナスのコレクションに帰属するか、得られる情報が限定的で錯綜しているのは古代美術研究の常であるが、まずはオーソドックスな作品研究を基礎として同庭園に関わる作品群の通時相、共時相を正確に把握することに努める。そのうえで浮かび上がるマエケナスの彫刻コレクションの様相の解明が、当時の芸術環境の一端を明らかにし、現代への示唆をも含むものとなれば幸いである。

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