鹿島美術研究 年報第32号
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研 究 者:東京文化財研究所 アソシエイト・フェロー  河 合 大 介本研究の目的は、第二次世界大戦後の日本において、アンデパンダン展や新しい画廊群が、画壇の外部で活動する「アンデパンダン作家」たちのキャリア形成に果たした役割を、基礎資料に基づいて明らかにすることである。第二次世界大戦後の日本の美術界では、美術団体の再興、分裂、新規立ち上げが相次いだが、それらは依然として旧来の美術団体の公募システムを継承しており、権威主義を克服することができないでいた。これに対するオルタナティヴとして登場したのが、日本美術会による「日本アンデパンダン展」(1947年〜現在)と読売新聞社主催の「日本アンデパンダン展」(のちに「読売アンデパンダン展」に改称:1949年〜1963年)だった。無資格・無審査で出品可能な両展は、団体に所属しない若手作家の活動の場となり、そこで注目されるようになった作家たちは「アンデパンダン作家」と呼ばれた。特定の団体に属さない彼らに活動基盤を提供したのは、新しく開廊した画廊群だった。こうして、画壇の外部で作家としてのキャリアを形成するための環境が出来上がっていったと考えられる。このような制度的背景についての情報を収集し、整理することが本研究の中心的課題である。既存の文献資料および研究としては、①両アンデパンダン展の目録と記録集、②各画廊の記録集、③作家ごとの研究、④評論家や記者による報告とがある。本研究の狙いは、①②③を縦軸、④を横軸とし、統合的な見取り図を形成することである。その際、東京文化財研究所をはじめとする各機関所蔵の画廊及び作家に関する一次資料を参照することで、情報の精度を上げるとともに、不足部分を補う。こうして、1950年代におけるアンデパンダン作家のキャリア形成を支えた制度的背景を明らかにすることは、日本の戦後美術史研究にとって以下の意義と価値を持つ。まず、本研究によって、1950年代のアンデパンダン作家たちの個別的研究の背景を成す基礎的情報を提供することになる。また、現在、国際的評価を得ている1960年代以降の日本の前衛美術についても、それを可能にした制度的背景についての理解を可能にする。そして、日本に独自の美術界の二層構造(「画壇」と「現代美術」)の発生源が明らかになる。以上のように、本研究は、堅実に一次資料にあたることで、1950年代の日本の美術㊶ 戦後日本における「アンデパンダン作家」とその制度的背景に関する基礎的研究

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