⑵ 《知恵の勝利》の版画における油彩画からの変更点の解釈:筆者は同作品の油彩画に関する研究をこれまで行ってきたので、本研究では版画の制作年や銘文の内容、そしてメディウムによる需要層の違いを考慮しながら、版画における油彩画からの変更があった意図を考察する。上記2点を総合してプラハの芸術保護政策とその実際の影響を明らかにする。界の一側面についての情報を確実かつ包括的なものにする。そのことによって、他の戦後日本美術研究にとって基礎となる有用な資料体を提供することができるだろう。構想ルドルフ2世が1595年に出した絵画の地位を高める勅書は、プラハの芸術運動の中で重要な意味を持つ。本研究は勅書直後と2年後以降にそれぞれ制作されたスプランゲルの《知恵の勝利》の油彩画と版画を通して同地の芸術運動の動向について明らかにする。その際以下の2点が重要な目的となる。⑴ 16世紀末のプラハの画家の地位の調査:ルドルフ2世治世下のプラハにおける宮廷画家と画家ギルドの会員の状況に関して、一次資料と関連作品の調査を通して明らかにする。具体的にはプラハ国立美術館のアーカイヴに保存された1595年の勅書及びその前後の画家ギルドに対する勅書の調査・分析と、絵画の地位向上の主題を扱う作品の図像学的解釈及び制作年や銘文の調査を行う。現時点では、関連作品が勅書後も定期的に制作されているので皇帝の政策を称揚する意味だけでなく、実際の画家の立場にはあまり有効でなかったため頻繁に絵画の地位を向上する作品が制作された可能性も考えている。意義と価値本研究は北方マニエリスムの中心地であったプラハ宮廷における芸術運動に関する研究とスプランゲル研究を結び付けることで、双方の研究を推し進めることが期待できる点で意義があると考える。まず、プラハ宮廷における芸術運動に関する詳細な研究は少なく、近年プラハで主―バルトロメウス・スプランゲル作《知恵の勝利》の油彩画と版画を中心に―研 究 者:神戸大学大学院 人文学研究科 博士課程後期課程 川 上 恵 理㊷ ルドルフ2世治世下のプラハにおける芸術運動
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