鹿島美術研究 年報第32号
105/132

巻」などの軍記物語に取材した合戦絵巻と、「蒙古襲来絵巻」といった合戦記録として制作された絵巻という二系列の分類が了解されている。そして後者が、近世以降の「関ケ原合戦図屏風」のような“合戦を記録する”屏風群を生み出し、日本の合戦絵は展開していったと漠然と理解されてきている。しかしながら、このような合戦絵の流れ観は、「一の谷・屋島合戦図屏風」が十六世紀後半から十七世紀前半にかけて少なからず制作されていることを充全に議論するものとは言えまい。宮次男編『日本の美術No.146合戦絵』(至文堂、1978年)では中世合戦絵巻のみが取り上げられ、『別冊歴史読本 合戦絵巻合戦図屏風』(新人物往来社、2007年)では、合戦屏風は戦国合戦屏風のみが掲載されているという事実から、合戦絵としての「一の谷・屋島合戦図屏風」は見過ごされてきた感がある。本研究の意義は第一に、これらを合戦絵研究の俎上に載せることで、合戦絵における主題の広がりを再確認し、近世の合戦絵の展開とその構造を提示することである。2)近世における『平家物語』受容問題の解明源平合戦を大画面で捉えた「一の谷・屋島合戦図屏風」などの作例が大半を占める一方で、「敦盛最期」や「二度の懸け」「景清の錣引き」など、一の谷・屋島の戦いの中でも著名な合戦シーンのみを取り上げた作例が存在する。これらは能楽や幸若舞、歌舞伎で広く大衆に知られるようになったエピソードを絵画化していると考えられ、その制作背景や機能は、おそらく合戦絵としての「一の谷・屋島合戦図屏風」とは異なるであろう。本研究の意義は第二に、中世以来、様々な階層に受容されてきた『平家物語』が、様々な諸本や舞台を通して絵画化され、繰り返し制作されてきた背景を考察することで、近世における『平家物語』と平家絵の受容の在り方を解明することである。<研究の構想>①現在知りうる「一の谷・屋島合戦図屏風」の総てを調査し、図様と構成の特性を明らかにしたうえで、新たな分類を行う。②考察対象の作例を『平家物語』の各諸本、『源平盛衰記』、『舞の本』などのテクストと照らし合わせ、『平家物語』以外のテクストや異なるメディアとの関係性を考察する。以上、二本の柱でもって考察を行い、近世前期における平家絵の諸相とその展開を明らかにする。

元のページ  ../index.html#105

このブックを見る