鹿島美術研究 年報第32号
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は、日本ではあまり知られていない。「若きラインラント」は政治や社会に積極的に関与する芸術を目指したため、表現主義を継承したリアリズムを表現手段とした。ナチス時代に入り、彼らの芸術は形式的にも内容的にもナチスの奨励する美術の基準に合わなかったため、それを貫いて抵抗するか、それとも順応・迎合するかの選択に迫られた。敗戦後、彼らの芸術はいずれにせよ、新しい時代に求められた芸術の在り方と符合せず、顧みられる機会を失った。その後「若きラインラント」の再評価は、「歴史家論争」の起こった1980年代後半まで待たねばならなかった。本研究では「若きラインラント」の芸術活動と、このような政治・社会との関係の歴史を振り返る。またその歴史に対する近年のドイツの取り組みを明らかにし、美術と政治・社会の関係について考察を深める。それによって20世紀前半のドイツ美術史に新しい光を当てる。②画家たちのナチス時代における作品と芸術活動の検証ナチスの芸術観と芸術政策、それによりドイツ美術界が蒙った影響を俯瞰的にとらえる研究が多い中で、筆者は画家たちが作品を通じてナチスの芸術政策にどのように反応したのかを具体的に追求することにより、それらの問題の解明に取り組む。ナチスは近代芸術を弾圧の対象としたが、本研究ではその中でも表現主義世代の画家ではなく、政治や社会に関与する芸術を目指した「若きラインラント」出身の三人の画家、パンコック、シュヴェーズィヒ、ラオターバッハ―日本ではほとんど紹介されたことがない―の作品に注目することにより、芸術のもつ批判的な力について考察する。亡命せずにドイツにとどまった、あるいはナチス支配の及ばない遠くへ逃れきることのできなかった彼らが、ナチスの美術統制を前にして、抵抗するのか、不服でも順応するのか、それとも進んで迎合して利益を得るのかの選択に迫られた際、どのような選択をしたのか、その結果どのような事態を招いたのか、その作品にはどのような特徴や意義があるのかを明らかにする。抵抗と迎合の間の中間地帯は実に多様であり、本研究では抵抗した画家だけではなく、この中間地帯にいた画家の活動を同時に見ることによってこの時代のアートシーンに迫ろうとする。また従来の研究ではナチス支配に直面した彼らの活動の経過のみに主眼が置かれる傾向があった。対し本研究ではそれを踏まえながら作品分析を行い、作品の特徴や意義を考察する。第二次大戦後パンコックはデュッセルドルフ美術アカデミーの教授になり、ドイツではすでに一定の評価を得ているが、シュヴェーズィヒは近年ようやく注目され始め、ラオターバッハは逆に近年判明した彼にとって不都合ないくつかの事実により評

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