鹿島美術研究 年報第32号
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価の定まりにくい画家となっている。戦後、彼らの芸術活動がどのような政治的状況におかれたのか―例えばシュヴェーズィヒの評価がなぜこれほどまでに遅れたのかなど―を明らかにし、現在のドイツの視点を含め、その受容の歴史を振り返る。構想「若きラインラント」にかかわった三人の画家、パンコック、シュヴェーズィヒ、ラオターバッハが、ナチス時代にいかなる芸術活動を行って生き抜いたのかを明らかにすることにより、ナチスの芸術政策が実際に芸術家たちにどのような影響を与えたのかを考察する。そのために次の項目に関して調査研究を進める。①「若きラインラント」の芸術活動の歴史:ヴァイマル共和国時代、ナチス時代、第二次世界大戦後②ナチスの美学と芸術政策の問題③パンコック、シュヴェーズィヒ、ラオターバッハ:ナチス時代の作品と芸術活動の特徴・意義④三人の画家の戦後の芸術活動とその作品の受容の歴史⑤芸術と政治・社会の関係、芸術の持つ批判的な力について研 究 者:佐賀県立博物館・美術館 主事・学芸員  岩 永 亜 季意義・価値本研究においては、作品や言説、舞台美術との関わり、写真や16ミリフィルム等、多角的な観点から岡田三郎助が行った光と影、色彩の探求について検討する。それにより、穏健な画風の典型的なアカデミズム画家という従来の岡田への評価とは異なる見方が提示され、岡田三郎助という画家をより厚みをもって評価することができるようになる。加えて、昭和初期まで洋画壇を牽引し、官展系の画家として影響力が多大であった岡田三郎助が、どのように様々な美術・技術から刺激を受けていたかを調査することは、明治から昭和初期にかけての日本洋画壇の動向をみる上でも重要と考えられる。構想まず、ひとつには、岡田三郎助に刺激を与えたであろう様々な西洋美術との比較検㊻ 岡田三郎助における光と色彩の探求について

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