鹿島美術研究 年報第32号
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討を行う。岡田は明治30年に第一回文部省留学生としてパリに渡っている。このとき、ルーヴル美術館で行った数点の模写を東京美術学校に提出しており、フラ・アンジェリコの《聖母戴冠図》模写(東京国立博物館蔵)、レンブラントの《自画像》模写、ホルバイン(子)《ウィリアム・ウォラム》模写(いずれも東京藝術大学大学美術館蔵)の計3点が現存している。これらはもちろんのこと、既に指摘されているコローやアングルの作品等、ルーヴルでの体験は後の岡田に多大な影響を与えた。本研究では、ルーヴル等岡田が渡欧中に赴いた場所にあった作品はもちろん、同時代に岡田が参照し得たであろう様々な同時代の美術動向についても、岡田作品と関連づけながら、主に色彩や筆致、明暗表現等の観点から検討する。次に、舞台美術との関連性についての調査研究を行う。岡田三郎助は義兄・小山内薫との縁から、何度か左団次一座の舞台美術に腕を振るうなど舞台と縁深い画家であった。大正9年、土方與志らによる「友達會」の模型舞台展覧会に対して『演藝畫報』誌上で寄せた批評において、岡田は1900年の巴里万博で見た舞台模型を思い返している。岡田がパリ時代に描いた《薔薇の少女》(石橋財団石橋美術館蔵)では、モデルの少女は暗い舞台の上でスポットライトを浴びた女優のように佇んでいるが、『演藝畫報』の批評は、岡田がパリ留学時代から、舞台美術における構図や光による演出に強い関心を持っていたことを補強し、それが大正期まで継続していたことをうかがわせるものである。このように、本研究では、舞台美術に係る資料を演芸関係の雑誌や新聞記事等に求めつつ、作品とも比較していく予定である。更に、カメラやフィルム(映像)と岡田の関連についても調査を行う。岡田三郎助はカメラを好んで利用しており、作品制作にも写真を活用していた。例えば、《婦人半身像》(東京国立近代美術館蔵)や《来信》(個人蔵)には、ポーズを取るモデルを写した小影が残っている。また、死後に親しい人々が岡田を追懐した『畫人岡田三郎助』には、16ミリフィルムで小型映画を映して弟子達と楽しんでいたことが述べられている。本研究では、岡田がそれらの機器を用いて制作した作品と、岡田の絵画作品との関連についても考察を行う。

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