鹿島美術研究 年報第32号
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研 究 者:学習院大学大学院 人文科学研究科 博士後期課程  本 多 康 子本研究は、時衆教団における開祖一遍智真の事跡行状を描いた祖師絵伝「一遍上人絵伝」12巻(聖戒編、法眼円伊筆、正安元年〈1299〉、以下「一遍聖絵」とする)と、一遍と二祖他阿真教の事跡を描いた「遊行上人縁起絵」10巻(宗俊編、原本伝存せず、以下「遊行上人縁起絵」とする)諸本の制作過程において、時衆教団の地方展開とその地域に根差した人的・文化的・宗派間ネットワークに主眼をすえ、地域的特色という観点から再検討を試みるものである。とりわけ筆者は、京都(山城国)における時衆教団の展開と祖師絵伝制作の動向に着目している。従来行われてきた各諸本の個別的な作品分析に加えて、それらの取り巻く制作環境を巨視的に概観し、時衆文化圏の繋がりの全容の把握を試みたい。京都では、主流となる時宗12派のうち六条道場、市屋道場、四条道場、七条道場、霊山道場など、約半数にのぼる主だった宗派が密集して存在し、時衆教団の地方展開において最大の勢力基盤を占めている。この地が一遍にとって空也聖の伝統を継承して布教を始めた特別な地とみなされ、一遍の死後、早期より六条道場(歓喜光寺)を拠点としていた聖戒をはじめ、二祖他阿によってそれぞれ派遣された四条道場(金蓮寺)の浄阿と七条道場(金光寺)の有阿、そして市屋道場(金光寺)の作阿など、中世の時衆教団の形成発展期において各宗派が林立し継承されたのである。そして、これらの寺院において「一遍聖絵」や「遊行上人縁起絵」諸本をはじめ、時宗各寺院の祖師絵伝や伝記・文書類が多く現存していることも着目すべき点であろう。即ち、公家日記等の古記録の記述に散見されるように、京都における時衆教団は、当時の権門や貴顕の庇護のもとで行われた文芸活動の一環として、祖師絵伝制作を盛んに行っていたことがうかがえるのである。ここでは、法灯継承の重要なツールであるのみならず、彼らの鑑賞や娯楽のために披見しうる作品としても求められたといえよう。これらの背景を踏まえ、本研究では、祖師絵伝の制作過程に関わった時衆文化圏について、注文主の時衆や権門貴顕、そして絵巻制作に実際に携わった絵師や工房との関わりについて明らかにしたい。また、かねてから議論となっているのは、宗俊本「遊行上人縁起絵」系諸本が多く制作伝来した一方、聖戒本「一遍聖絵」諸本はほとんど現存していないという特異な㊼ 京都時衆教団における祖師伝絵巻制作 ―金蓮寺本を中心に―

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