庫県立歴史博物館学芸員の五十嵐公一氏が、また西洋美術部門からは和泉市久保惣美術館学芸員の町田つかさ氏が財団賞の受賞者にそれぞれ選ばれました。また、優秀者には、それぞれの部門からサントリー美術館学芸員の上野友愛氏及びお茶の水女子大学大学院人間文化創成研究科博士後期課程の内山尚子氏がそれぞれ選ばれました(注)。財団賞の選考理由については、有賀委員と私がそれぞれの部門の選考理由を執筆したので、ここで読み上げます。《日本・東洋美術部門》 財団賞 五十嵐公一氏(兵庫県立歴史博物館 学芸員) 「山本友我の研究」 優秀者 上野友愛氏(サントリー美術館 学芸員) 「日本中世絵画における物語と景観−お伽草子絵巻の再検討を中心に−」《選考理由》山本友我(生年不詳−1669)は、江戸時代、京都で認められた絵師であったが、息子とともに詐欺の罪状で1669(寛文9)年に「はりつけ成敗」を受け、悲運な最期を遂げたこともあり、作品はこれまでに2点しか知られておらず、今回の調査で新たに2点が確認された。そのうちの1点である「瀟湘八景図」(絹本著色、99.3×31.8cm)について、絵が描かれ、8人の五山僧による賛文と跋文が整うまでの経緯及び制作の動機を著賛者の1人である相国寺の鳳林承章の日記である『隔蓂記』を丁寧に読み込むことによって明らかにしたものである。山本友我の「瀟湘八景図」は鳳林承章が企画者となり、先に南禅寺の最岳元良が企画し狩野探幽の弟安信に描かせた「瀟湘八景図」に触発されて、著賛者8人も鳳林承章を含め同じで、山本友我の八景図は相国寺塔頭の松鷗軒智泉座元に仕えた文雅慶彦(1621−98)が1648(慶安元)年に蔵主から首座に転位したのを期して制作された作品である。企画者の鳳林承章が山本友我に絵絹を渡して作画を依頼し、鳳林承章と著賛者の間で八景図が往復し、しかも鳳林承章が著賛者に賛文を依頼するのに団扇や扇子などの手土産を持参して訪問し、著賛の主旨を説明し、最後に文雅慶彦が相国寺の昕叔顕晫に跋文を書いて貰い、それを鳳林承章に見せ、表具が仕上がる経緯が極めて具体的に述べられている。
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