3.山本友我の研究 発表者:兵庫県立歴史博物館 学芸員 五十嵐 公 一存在から、デザインの過程でノグチが雑誌『ロックフェラー・センター・マガジン』に掲載された記事を参照した可能性を指摘する。この記事は、最新機材を用いて迅速に情報を収集伝播するニュース・エージェンシーとしてAP通信社を紹介するものであり、ノグチのレリーフに描かれた「ニュース」のイメージと直接結びつくものである。しかし、この記事に掲載された写真とノグチのレリーフとを比較すると、制作過程においてジャーナリストの図像に加えられた改変が指摘できる。《ニュース》のジャーナリストは筋肉質なヌードで表象されており、これは、大恐慌時代のアメリカで肉体労働者の図像として流布していたイメージと共通する。こうした労働者は、ヌードで描かれることで、英雄化されると同時に眼差しの対象ともなり得るという両義性を免れ得ないものであったことが、先行研究では論じられている。しかし、《ニュース》のジャーナリストは、見る主体としての特性が強調されているが故にそのゆらぎを免れており、従って特定の階級にも還元され得ない。本発表では、以上のように、ジャーナリストの身体表象に注目することにより、ノグチのAP通信社のレリーフが、ソーシャル・レアリズムとの図像的な類似性を持ちつつも、階級闘争ではなく、アメリカのナショナル・アイデンティティとしての自由主義と結びつけて評価され得る特徴的なイメージを構成していることを指摘する。安元年(1648)2月29日には法橋にも叙せられている。ところが、その後、詐欺を働いたことにより京都所司代・板倉重矩に裁かれ、寛文9年(1669)10月14日に粟田口で磔となっている。これらのことが『板倉政要』など山本友我(−1669)は、京都・鹿苑寺の住持をつとめ、相国寺95世にもなった鳳林承章の日記『隔蓂記』に頻繁に登場する絵師である。今までに知られている作品は「麝香猫図」(妙法院)、「平敦盛像」(須磨寺)の二点だけだが、『隔蓂記』から具体的な活動が分かることもあり、寛永文化の一端を担う絵師として注目されてきた。その『隔蓂記』によれば、友我は鳳林承章を介して人脈を広げ、後水尾法皇の知遇も得たようだ。そして慶
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