ピカソが秘匿し続けてきた立体作品の全貌は、1966年から翌年にかけてパリ、ロンドン、ニューヨークで開催された3つの展覧会において初めて明かされた。本研究ではこのうち、ニューヨーク近代美術館(MoMA)で開催された展覧会“The Sculpture of Picasso”に着目し、その記録文書(Alfred Barr Papers)の調査を行った。これにより、同展覧会がピカソ立体作品の単なるお披露目以上の意義を持つものであることが明らかになった。本発表ではまず、この資料から展覧会開催に至るまでの経緯を追い、同展覧会の意義を再検討する。それとともに、同展のメイン・ビジュアルとして用いられた金属板による立体作品《シルヴェットの胸像》(1954年)を例に、同展がこれら1950年代以降のピカソ立体作品をいかに位置づけたのか、それを読み解くことを試みる。本展覧会の意義は、第一に、同展を契機にMoMAのピカソコレクションに新たな拡充がもたらされたという点にある。展覧会実施にあたり露見したのは、当時のMoMAにおけるピカソコレクションの絵画と立体の不均衡であった。元館長アルフレッド・バーと展覧会担当キュレーターのルネ・ダノンコートは、それぞれの思惑を胸に立体作品の購入へと動き出す。そしてこの第一歩はのちに、キュビスムの記念碑的コンストラクション作品《ギター》の獲得という形で結実することとなる。第二に、この展覧会が特に1950年代以降に制作されたピカソ立体作品の評価の先鞭をつけたという点である。先述のとおり、展覧会のメイン・ビジュアルとして提示されたのは、《シルヴェットの胸像》であった。これは、同作品が制作されたちょうどその頃、同じニューヨークの美術批評家クレメント・グリーンバーグがピカソの近作を「過去の焼き直し」と一刀両断した評価とは真っ向から対立するものである。しかし同時に、MoMAがキュビスムをモダニズムの重要な核のひとつであると位置づけて金属板立体作品といった、二次元と三次元の間に絶え間なく繰り返される往還こそが、ピカソの制作を常に新境地へと導いたのである。しかしながら、ピカソはその立体作品を絵画のようには頻繁に世間に発表することをしなかった。そのためか、絵画作品と比較して、これら立体作品が十分に研究されてきたとは言いがたい。特に1950年代以降の立体作品が、その作例の豊富さにもかかわらず等閑に付されてきたことは否めない。
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